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●バーバラ・キャンベル・クック Barbara Campbell Cooke  サム・クックの未亡人、2021年4月に85歳で死去


●バーバラ・キャンベル・クック Barbara Campbell Cooke  サム・クックの未亡人、2021年4月に85歳で死去

【Barabara Campbell Cooke Dies At 85 April 2021】

本記事は最後まで無料で読めます。

(本作・本文は約12000字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字で読むと、およそ24分から12分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと40分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴きますと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)

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●バーバラ・キャンベル・クック Barbara Campbell Cooke  サム・クックの未亡人、2021年4月に85歳で死去

【Barabara Campbell Cooke Dies At 85 April 2021】

訃報。

バーバラ・キャンベル・クック Barbara Campbell Cooke  サム・クックの未亡人、2021年4月に85歳で死去していたことをニューヨーク・タイムズ紙が報じた。

同紙が、クック家、ウォーマック家と親しいデトロイトのラジオ・ホスト、デイヴィッド・ワシントンに明かしたことを報道した

→https://nyti.ms/3AKvYGF 

サム・クックは1964年12月11日ロスアンジェルスのモーテルで女主人に殺害されるが、その3か月後、バーバラはサム達もよく知る、ある意味でサムの弟子的存在だったソウル・シンガー、ボビー・ウォーマックと再婚し、当時非難をあびた。それは近しい人物であること、また、サムの死からわずか3カ月という短い期間での再婚であったため。

サムとバーバラの間に生まれた娘リンダ・クックはボビーの弟、セシル(発音はスィースル)・ウォーマックと結婚。2人はデュオ、ウォーマック&ウォーマックとして活躍。

ボビーとバーバラの間には息子ヴィンセントが生まれたが、ドラッグとアルコール中毒になり、1986年、21歳で自殺。このヴィンセントの名前は、サムとバーバラの間に生まれながらも正誤18か月で水死してしまったヴィンセントにちなむ。

ボビーは2014年70歳で死去。

バーバラとサムが知り合ったとき、すでにバーバラは別の男性との子供を育てていた。ボビーはバーバラとも、セシルとも口を聞かないという。

リンダ・クックの夫、セシル・ウォーマックは2013年1月、南アフリカで65歳で死去している。

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■関連記事

ボビー・ウォーマック死去~ラスト・ソウル・マン逝く
2014年06月29日(日)


https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11885648446.html


●ボビー・ウォーマック死去~ラスト・ソウル・マン逝く

【Bobby Womack Dies At 70 : The Last Soul Man Himself】

訃報。

「ラスト・ソウル・マン」の異名をとるソウル・シンガー、ソングライター、ギタリストのボビー・ウォーマックが2014年6月27日(金)死去した。70歳だった。死去した場所、死因などは現時点ではまだはっきりしていないが、最近はロスアンジェルスを本拠にしていたので、ロス近辺での死去かもしれない。

2012年、2013年と来日していたが、体調は悪そうでライヴ・パフォーマンスも苦しそうだった。実際、大腸がん、糖尿病、初期のアルツハイマーなどを患っていたという。

ボビー・ウォーマックに関しては、拙著『ソウル・サーチン R&Bの心を求めて』の5章「ウォーマック&ウォーマック」の中で詳細に記している。現在書籍は絶版だが、7章のうち4章分は電子書籍になっている。ただし、この回はまだ電子書籍化されていない。図書館などでごらんください。全7章の中でウォーマックの回はもっとも長い80ページ弱の作品になっている。それでも、これは2000年までのこと。以後14年経っている。


ソウルサーチン R&Bの心を求めて
吉岡 正晴
音楽之友社
2000/7/13


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評伝、ボビーの個人的思い出など、改めて後日アップします。



http://www.youtube.com/watch?v=sbbZ_k1Z8gU



http://www.youtube.com/watch?v=hOcmdyf2PNI

http://www.youtube.com/watch?v=tNjSBkGUOTU

ボビー・ウォーマックは1944年3月4日、オハイオ州クリーヴランドに5人兄弟の3男として生まれた。

ウーマック兄弟は次の通り。

フレンドリー・セカンド(長男・1941年生まれ)
カーティス・ウーマック(次男・1943年生まれ)
ボビー・ウーマック(3男・1944年3月4日生まれ、2014年6月27日死去)
ハリー・ウーマック(4男・1945年6月25日生まれ、1974年3月9日(7日?)死去)
セシル・ウーマック(5男・1947年9月25日生まれ、2013年1月25日死去)

1987年9月の初来日以来、1991年6月、1995年3月、2012年2月、2013年5月と5回来日している。

ボビー・ウォーマックは、熱いソウル・ヴォーカルを聴かせるサム・クック直系のソウル・シンガーで、自らを「ラスト・ソウル・マン(最後のソウル・マン)」と呼ぶ。ちなみに初来日のときのドラマーは当時まだ無名だった日本人ドラマー、沼澤尚(ぬまざわ・たかし)だった。

ボビー・ウォーマック、2012年2月、17年ぶりの来日時ライヴ評。 


http://goo.gl/L8TJdk  



http://goo.gl/vtZ7Rv



http://goo.gl/BrkpcV  

1995年、3回目の来日時のインタヴュー記事。

https://web.archive.org/web/20071025162221/https://www.soulsearchin.com/entertainment/music/interview/womack19950501.html

「ソウル・サーチン・レイディオ」でも3月に特集した。

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Poet I & II
Bobby Womack
Abkco (2013-11-21)


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Best of Bobby Womack: The Soul Years
Bobby Womack
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Across 110th Street
Bobby Womack
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ルッキング・フォー・ア・ラヴ・アゲイン
ボビー・ウーマック
ユニバーサルミュージック (2014-01-29)


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OBITUARY>Womack, Bobby (March 4, 1944 – June 27, 2014, 70 year old)

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ああ、ボビー・ウォーマック。サム~山岸~ボビーで線になる点
2014年06月30日(月)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11886101152.html

●ああ、ボビー・ウォーマック。サム~山岸~ボビーで線になる点

【Yamagishi’s Triumph As Well As Sam’s Triumph】

詩人。

ボビー・ウォーマックは実際に会ってみると、本当に人情に厚い昔ながらの典型的なオールド・スクール・ブラザーだということがわかる。彼の70年の人生に起こった様々な出来事は、彼のそうした人情の機微、やさしさ、人間としての弱さなどから起こってきたものだ。クールに人生を歩むのではなく、彼は熱く無鉄砲に一直線に生き、ときに成功を収め、ときに失敗し、回り道ばかりをしてきた。だがその回り道が遠ければ遠いほど、彼はいい作品をたくさん生み出した。

アリーサ・フランクリンがボビーに言った「あんたは悲しいときだけハッピーなのね」という言葉がそれを象徴する。

人生に成功した人よりも、失敗したか、うまく行っていない人のほうが圧倒的に多い。だから、そういう苦労話や、愚痴や口惜しさ、悲しさ悔しさを曲に込めれば、成功物語よりも共感を得る割合は高い。

そして、ボビー・ウォーマックの曲には泣けるものが多い。英語の歌詞の中身まで深く入り込まなくとも、そのメロディーと声と曲調で、「なんか悲しいことを歌ってるんだろうな」と感じることができる。曲調が日本人受けするものが多いのも彼が日本で人気が高い秘密の一端だ。それは言葉で言えばブルーズとソウルと歌謡曲の要素が巧みにブレンドされているからではないだろうか。

<ahref="http://stat.ameba.jp/user_images/20140702/00/soulsearchin/e0/f5/j/o0800060012990609677.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20140702/00/soulsearchin/e0/f5/j/t02200165_0800060012990609677.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0" /></a>
<em>From left: GinaRe Womack, Masaharu Yoshioka, Bobby Womack, Zekkujchagula Zekkariyas (KC Womack). February 23, 2012. Tokyo, Japan</em>

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第一歩。

今回の訃報で知った話をひとつ。

ニューオーリンズで活躍する日本人ギタリスト山岸潤史が1988年にメルダックから出したアルバム『マイ・プレジャー』にサム・クックの作品「アイル・カム・ラニン・バック・トゥ・ユー」が収録されている。これを歌っているのが、サムの愛弟子、ボビー・ウォーマックである。

まず、ジュン・ヤマギシ・フィーチャリング・ボビー・ウォーマックをお聞きいただこう。


<a href="http://www.youtube.com/watch?v=sBnMauGguwA" target="_blank">http://www.youtube.com/watch?v=sBnMauGguwA</a>



<iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/sBnMauGguwA" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

そして、この曲のオリジナルのサム・クック・ヴァージョン。

<a href="http://www.youtube.com/watch?v=yAvJ6cxMrg0&list=PLA328AB1A4F55C043&feature=share" target="_blank">http://www.youtube.com/watch?v=yAvJ6cxMrg0&list=PLA328AB1A4F55C043&feature=share</a>

<iframe width="420" height="236" src="//www.youtube.com/embed/yAvJ6cxMrg0?list=PLA328AB1A4F55C043" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

サムのヴァージョンは、1957年9月からヒットした「ユー・センド・ミー」に続くシングルとして1957年11月にリリースされた。ただ実際のレコーディングは、「アイル・カム…」が1956年12月ということで、少し早い。そして、どちらもソウル・チャートで1位になり、まさにワンツー・パンチさながらにサム・クックは立て続けに大ヒットを放つことになった。

ポイントは、それまでゴスペルの世界で大人気を博してきたサムが、これらの曲でいよいよそれより大きなマーケットである世俗のソウル・ミュージックの世界にはいらんとする、「世俗曲の第一歩、第二歩的な作品」だということだ。サムは「ユー・センド・ミー」さらに畳みかけるようにこの「アイル・カム・ラニン・バック・トゥ・ユー」でソウル・ミュージック史、ポップ市場で爆発的な人気を獲得し、それまででは考えられないほどのブラックのスーパースターになる。当時のブラック・マーケットの規模からいえば、サムの人気は今のマイケル・ジャクソンに匹敵すると言っても過言ではないだろう。

さて、その大ヒットから15年後、この「アイル・カム・ラニン・バック・トゥ・ユー」をアメリカから遠く離れた日本で聞いていた男がいた。それが山岸潤史だ。彼が20歳のとき、おそらく1973年頃。山岸は「これを聞いたときに、(衝撃を受け)いつか自分がアルバムを作るときが来たら、絶対にこの曲を録音したい」と思ったという。

それからさらに15年後1988年、それが現実のものとなる。

トライアンフ(偉業)。

山岸は日本のメルダック・レコードからリーダー・アルバムをだすことになり、様々なミュージシャンとコンタクトを取り、多くのミュージシャンが参加することになった。そんな中で、彼が大好きなボビー・ウォーマックにこの「アイル・カム・ラニン・バック・トゥ・ユー」を歌ってもらいたいと考えた。

当時ロスを本拠にしていたミュージシャン仲間の沼澤尚(ぬまざわ・たかし)がボビーのツアー・ドラムスをやっているということで彼の紹介でボビーに会うことになった。沼澤は1987年9月のボビー・ウォーマック初来日時のドラマーだ。

ミーティングに指定された場所はイタリアン・レストランだった。山岸はストレートにボビーに言った。「サム・クックの『アイル・カム・ラニン・バック・トゥ・ユー』をあなたと一緒にやりたい」

すると、ボビーは驚くべきことを教えてくれた。「このレストランは、サムが生前最後に立ち寄った店なんだよ」

ボビーにしてみれば、東洋の日本からふらりとやってきた若造がなんでまたサムの曲を一緒にやりたいなんて言うのだろうか、といった感じだったにちがいない。だが、彼はボビーの家に行き1-2時間ほど2人でジャム・セッションを繰り広げた。20年以上ソウルやブルーズをプレイしてきた山岸にとってそれらのジャム・セッションはお手の物だ。

そんなジャム・セッションが一区切りつくとボビーはおもむろに言った。「わかった。お前のレコーディングをやろう。いま、キース・リチャードのアルバムを頼まれているが、まだ日程がはっきりしないので、お前のを優先してやる」

山岸はその言葉を言われたとき、まるで自分が映画スターにでもなったかのように有頂天になり、舞い上がったという。

こうしてボビーが山岸のアルバムの中で、歌うことになった。できあがったのが、上記のユーチューブに曲がアップされているものである。

20歳のときに聞いていつか自分のアルバムを作るときには必ずいれたいと思ったその曲を、しかも、サム・クックの愛弟子であるボビー・ウォーマックに頼むことができたなんて、まるで夢のまた夢のような話だ。

この曲のイントロから曲全般、実にソウルフルなギターが流れる。これはボビーなのか、それとも山岸なのか。ものすごくボビーっぽいギター・フレーズなので、どちらかわからなかったので、本人に聞いた。

すると、ここで聞かれるギターはすべて山岸本人のものだという。サム・クックのヒットではあるが、これはまるでボビー・ウォーマック節全開のボビーの曲になりきっている。そして、ここにはブルーズがあり、ソウルがあり、そして、日本の演歌のようなものの要素がまぶされているような気がしてならない。ブルーズとソウルとエンカの見事な融合がここには記されている。

まるでボビーの傑作『ポエット』に収録されていたとしても、まったく違和感のない作品、できだ。すばらしい。

サムが世俗の世界に飛び込んだそのごく初期の1曲は、サムのキャリアの中でも大変重要なターニング・ポイントとなった作品である。そして、同じようにこのサムの曲を、サムの愛弟子ボビーに頼み込み、それを現実にレコーディングできた山岸にとってもこれは、大きなトライアンフ(勝利、征服、偉業)だ。

この「アイル・カム・ラニン・バック・トゥ・ユー」の中で、サム→山岸→ボビーという点が線につながった。

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■おしらせ

次回「ソウル・サーチン・レイディオ」(2014年7月1日深夜24時から25時、インターFM)放送分で、ボビー・ウォーマック・ミニ追悼をお送りします。お聞き逃しなく。

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山岸・ボビーのヴァージョンは、2012年にイギリスでリリースされた『ラクジュアリー・ソウル』のコンピCDに収録され、入手しやすくなっている。


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サムのヴァージョンはたとえばこれに

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ARTIST>Womack, Bobby
ARTIST>June, Yamagishi
ARTIST>Cooke, Sam

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速報 ●ボビー・ウォーマック、70歳で死去
2014年06月28日(土)


https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11885471311.html

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セシルの訃報。
セシル・ウォーマック、南アフリカで65歳で死去
2013年02月13日(水)


http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11469144783.html

● セシル・ウォーマック、南アフリカで65歳で死去

【Cecil Womack Dies At 65】

訃報。

夫婦デュオ「ウォーマック・ウォーマック」のセシル・ウォーマックが2013年1月25日金曜、南アフリカで心臓発作のため死去した。65歳。訃報は「ソウル・ソース」誌が2月1日付けで報じた。また、南アフリカ・ヨハネスブルグのラジオ局KAYA-FMのDJラニ・ボサは、1月30日(水)付けのツイッターで、リンダ・ウォーマックらのゼカリヤス・ファミリーがゲスト出演したときに、セシルが先週金曜(25日)に亡くなったと語ったとツイートしている。さらに、当ソウル・サーチンも、娘の一人コメヤ・ゼカリアスに直接確認したところ、「1月25日に心臓発作で亡くなった」という情報を得た。したがって一部ウィキなどにでている命日2月1日は間違っているものと思われる。なお、セシルの発音だが、「スィースル」が近い。またウォーマックの発音は、「ウーマック」ではなく、「ウォーマック」が近い。

また、兄のボビー・ウォーマックが2013年2月7日付けのオフィシャル・フェースブック・ページで次のようなコメントを発表した。

I was terribly upset when I heard about my brother's passing, and I still am. We made music together for a long time, but we've had many differences over the years. Thankfully we got a chance to reunite last year after a very long separation - and little did I know that it would be the last time I would see him. I can only pass along what I have now learned, which is to not let anything - money, success, etc, come between you and your family.

- Bobby Womack

このコメントを見ると、ボビーとセシルの間には少なからず確執のようなものがあり、長い間話をしていなかったようだ。しかし、もちろん実弟の死には衝撃を受けている。

https://twitter.com/LaniBusyB  (1月30日付け)

セシルたちの娘のひとり(子供がたくさんいる)ゼカチャグーラ・ゼカリアスがボビー・ウォーマックのバックコーラスの一員として昨年来日していた。彼女はサム・クックの孫ということになる。

セシル夫妻は1992年アフリカ、ナイジェリアでゼカリアス部族で出会い、ウーマック姓を改めゼカリアスにした。同部族では家長(セシル)はファミリー名(ゼカリアス)だけを名乗る。現在はアフリカ在住だったということで、南アフリカに居住していたようだ。

記事によると遺灰は、近くの川に流されたそうだ。

評伝。

セシル・ウーマックはウーマック家の5人兄弟の5男。1947年9月25日オハイオ州クリーヴランド生まれ。兄弟でヴァレンティノスを組みゴスペルを歌ってきた。彼らはR&Bシンガー、サム・クックの愛弟子として活動。ヴァレンティノスとして「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ」などのヒットをだし、これはイギリスのローリング・ストーンズがカヴァーしてヒットさせた。

サム・クックは1964年12月11日、ロスのモーテルでモーテルの女主人に銃で撃たれ33歳で死去。その後、兄のボビーはサム・クックの未亡人バーバラ・キャンベルと結婚。しかし、サムの娘リンダは義理の父となったボビーと折り合いが悪く、リンダは家を追い出されるように出て行く。ボビーとバーバラは1970年に離婚。

一方、1967年セシルはモータウンで「マイ・ガイ」のヒットを放った女性R&Bシンガー、メリー・ウェルズと結婚。3人の子供をもうけるが1976年、離婚。(なお、メリー・ウェルズとの結婚以前に一人息子がいるという) その後、幼馴染であるリンダと縁りを戻し、1977年、結婚。その後現在まで夫婦となっていた。

リンダとセシルは共に同じ価値観を共有し、曲を一緒に書くなど音楽活動を進めた。

彼らは、「ウーマック&ウーマック」として1983年、アルバム『ラヴ・ウォーズ』でエレクトラからレコード・デビュー。ここからは、「ベイビー・アイム・スケアード」「ティアドロップス」などのヒットが誕生。その後コンスタントにアルバムを出す一方、彼らの楽曲がテディー・ペンダーグラス、ベット・ミドラー、ジョス・ストーン、ボズ・スキャッグス、エリック・クラプトンら多くのシンガーたちによって取り上げられ、歌われてきた。

ウォーマック・ウォーマックについては、吉岡正晴著『ソウル・サーチン』の第5章でその歴史と詳細なソウル・サーチンの物語が描かれています。詳しくお知りになりたい方は図書館などで本を入手してお読みください。

絶版で中古のみ。なお、少しずつ加筆修正して電子書籍化されています。このうち、ミニー・リパートン、ハーヴィー・フークワ、ナタリー・コールがすでに発売されています。

ソウルサーチン R&Bの心を求めて
吉岡 正晴
音楽之友社 

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Conscience
Womack & Womack
Island UK (2006-02-21)


Best of 1984-1993: Strnage & Funny (Reis)
Womack & Womack
Raven [Australia] (2004-11-16)


OBITUARY>Womack, Cecil (September 25, 1947 – January 25, 2013, 65 year old)

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