押阪忍さん逝去~民放出身フリーアナ第一号~エスオープロダクション創始者
押阪忍さん逝去~民放出身フリーアナ第一号~エスオープロダクション創始者
【Shinobu Oshizaka, First Freelance Announcer In Business, Founder Of SO Productions Dies At 89】
訃報。
押阪忍さん 2024年6月29日老衰で都内で死去。89歳。https://x.gd/mtcsT
1935年2月28日岡山生まれ。民放出身フリーアナ第一号。1971年7月、エス・オー・プロを創立。数々の番組やCMに出演、さらに多くの後身を育てた。葬儀は家族ですませ、後日会葬の会を行う。DJオッシー
@osshy146の父。
押阪忍さんは、昨年(2023年)あたりから体調を崩し施設に入所。また、JFN各局で毎週放送されていた『ワンポイント・フィットネス』という番組を1992年以来一度も欠かさずに出演。その長い歴史ある番組を2023年12月31日の放送を持って31年の歴史に幕を下ろしていた。
オッシーのブログ
訃報
2024年7月8日
■押阪忍さん関連記事
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押阪忍さんといえば、我らが「オッシー・パパ」だ。個人的にも大変お世話になった。なにより、エスオー・プロの創立者であり、現会長でもあった。僕がエスオーと接点を持つようになったのが、2000年頃からで、以前は年一で行われていた忘年会などにも呼んでいただき、やさしいお言葉をかけていただいた。
なにより僕の中では、TBSテレビ昼の『ベルト・クイズQ&Q』の名司会者だ。そんな大司会者の方から普通にお声をかけられて、当初は本当に恐縮した。
オッシーからは、そのお父様の厳しさを折につけ話されていたので、なんとなく、とても厳しいお父様というイメージがあったが、実際に触れると大変優しい方だった。
イヴェントで強烈に印象に残っているのが、アナウンサー歴50周年を記念した京王プラザで多くの著名アナを招いてのもの。(上記2008年12月2日付ブログ参照)
あれは壮観だった。押阪さんはフリーアナの第一号だから、今活躍しているフリーアナは、みな押阪さんを大先輩として崇める。よくよく考えてみると、お父様は、1971年、36歳のときにエスオー・プロを青山に設立している。そうした動きもさきがけだ。
オッシーがずっとディスコDJという仕事をしているのを認めてくれなかったが、毎回招待していたあるイヴェントにやっと来てくれて、そのあたりから雪解けのようになっていったという。その後は、オッシーが作る番組は、ほとんど聞いていたというからなかなかすごいものがある。
『ソウル・ブレンズ』内『山野ミュージック・ジャム』のコーナーが最終回を迎えるときに、押阪さん栗原さん夫妻が花束をもってスタジオまで来られたときには、感無量になった。(上記2010年3月29日付けブログ)
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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先週土曜日(2024年7月13日)、逝去を公表してから初めてのオッシーの生放送『レディオ・ディスコ』があった。その冒頭で、オッシーは父の逝去を報告する際、「押阪忍、69歳で永眠をいたしました」と発表。佐代子さんがすぐに「89歳で」と訂正、オッシーも「あ、89歳でした! (笑)」とやる一幕も。「父親が、あんまりしんみりせずに、笑いを取ろうとして、僕に言わせたものだと思います」と笑った。
亡くなった人の魂(ソウル)は、四十九日まで、みなさんの近くにいる、というので、この日、パワースタジオにも忍さんがいらしていたのだろう。
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後日、お別れの会、おそらく「偲ぶ(忍)会」が開かれるようだ。
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OBITUARY>Shinobu, Oshizaka (Feb 28, 1935 – June 29, 2024, 89 year old)
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