〇グレッグ・ペリー死去~ホットワックス/インヴィクタスのソングライター/プロデューサー、アルバム2枚発表
【Greg Perry Dies】
訃報。
1960年代後半にチェス・レコーズなどを中心にソングライターなどとして活躍、その後、モータウンを辞めたホランド・ドジャー・ホランド(HDH)たちが始めたホットワックス/インヴィクタスにスタッフライター/プロデューサーとして入り活躍。多くのヒットを放ったグレッグ・ペリーが2023年3月14日死去した。詳細がまだわからないが、おそらく現在居住しているバーバンク近郊で逝去したものとみられる。グレッグの娘さんなどが、SNSに投稿、複数の関係者に確認した。ただ葬儀の模様などが出ず、また年齢などもはっきりしないが、情報を各種まとめるとおそらく1942年から1950年頃の生まれの73歳~80歳前後と思われる。誕生日は1月22日か23日頃。ちょっと幅が広すぎて申し訳ないが、過去一か月いろいろと調査しているのだが、なかなか確たる返事がもらえていない。
この記事では3月15日とされているが、娘の投稿では3月14日とされている。
娘さんのMelodye Perryへの友人のポスト
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評伝。
グレッグ・ペリーは、デトロイト近郊出身。おじにモータウンのエンジニアとして活躍し、その後、ソングライター、プロデューサーとして活動するロバート・べイトマンがいたことから、比較的音楽業界にはなじみがあった。
十代初期からモータウンのスモーキー・ロビンソンやマーサ・リーヴスなどと会ったことがあったという。
モータウンで活動していたプロデューサーのビリー・デイヴィス(フィフス・ディメンションのビリーとは同名別人)に誘われ、彼が仕事を始めたチェス・レコーズでいろいろ手伝うようになり、エタ・ジェームズなどに曲を提供するようになる。1967年にチェスでは自身名義の「ラヴ・コントロール」を出している。
Greg Perry - Love Control
Greg Perry Head Over Heels
グレッグ・ペリー本人がプロデュース、アレンジがチャールズ・ステップニー、なんとドラムスはモーリス・ホワイトらしい。まさにシカゴ・ソウルだが、モータウン的な雰囲気もある。1967年秋口リリース。今では、ノーザン・ソウル界隈で人気だという。
その後、モータウンで活躍していたソングライター・プロデューサー・チームのホランド・ドジャー・ホランド(HDH)がモータウンを辞め、1970年初頭にホットワックス/インヴィクタス・レコーズを設立するにあたり、同社のスタッフライター的存在に。この頃、モータウンからも専属ソングライターにならないかと誘われたが、HDHに行くために、断ったという。
HDHのこの時期に、共作で100プルーフの「サムバディーズ・スリーピング・イン・マイ・ベッド」、チェアメン・オブ・ザ・ボードの「ペイ・トゥ・ザ・パイパー」、ハニー・コーンの「ウォント・アッズ」などが大ヒット。これらは後年サンプリングやカヴァーなどもされた。
売れっ子ソングライター、プロデューサーとなったグレッグ・ペリーは、1974年、アーティスト、シンガーとしてカサブランカ・レコーズと契約。シングル、さらに一枚アルバム『ワン・フォー・ザ・ロード』をリリース。シングルヒットも出し、その後、RCAに移籍。
1977年、RCAから2枚目のアルバム『スモーキン』を出した。
その後、1990年代後期頃から、サウスキャロライナ州近辺で起こった「ビーチ・ミュージック」のブームで彼が書いた作品などが、ローカル的な人気を集め、同地でちょっとした人気者になった。
「ウォント・アズ」のハニー・コーンのリード・シンガー、エドナ・ライトと結婚。エドナが2020年9月12日に75歳で亡くなるまで、夫婦だった。
Greg Perry - Love Control
100 Proof Aged In Soul "Somebody's Been Sleeping In My Bed"
Chairmen Of The Board "Pay To The Piper" My Extended Version!
Bring the Boys Home (Freda Payne)
The Honey Cone - Want Ads (1971)
Greg Perry - The Boogie Man
Come On Down (Get Your Head Out Of The Clouds)
(SoulTrain)
Variety Is The Spice Of Life (Remastered)
GREG PERRY-IT TAKES HEART 12" version
これは1982年、アメリカに設立された日本のアルファ・レコーズUSAから出されたもの。おそらく、アルファUSAがYMOの大ヒットで資金に余裕がでたため、アメリカ人A&Rを雇い入れ、その人物が試しにシングルを録音したものとみられる。これがヒットしていれば、アルバムに進んだのだろうが、残念ながら火が付かず、これ一曲で終わってしまった。
当時のアルファのスタッフにもちょっとコンタクトしてきいてみたが、LAの駐在員をしていた彼もこのグレッグのシングルについては記憶がなかった。
Greg Perry Intv (10 minutes)
さらに、詳細など判明したら追記したいと思う。
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2023年4月13日放送の『AOR/Soul To Soul』(JFN各局+東京・インターFM)では、カサブランカからの「カム・オン・ダウン」をかけた。
OBITUARY>Perry, Greg> circa January 23, 1942-1950? -- - March 14, 2023, age unknown [73-81]
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