■■ソウル・サーチン・アーカイヴ・シリーズ 013 ~ リック・ホールの執念が生み出したクラレンス・カーターの「パッチェス」』■■
来日したこともある盲目のソウル・シンガー、クラレンス・カーター。彼の代表曲に1970年の大ヒット「パッチェス(Patches)」がある。悲しい感じの実にストーリー性のある佳曲だ。この曲はもともとはデトロイトのチェアメン・オブ・ザ・ボードの作品だった。それがいかにしてカーターのヒット曲、代表曲になったのか。カーターとそのプロデューサー、リック・ホール、それぞれのその楽曲への思い。「パッチェス」が描く、感動の父と子のストーリー。(トップの写真、左がプロデューサーのリック・ホール、右がクラレンス・カーター)
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オリジナル・サイト
★# クラレンス・カーターの「パッチェス」~リック・ホールが執念で作り出したヒット
2014年07月06日(日)
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11889398552.html
【Behind The Story of “Patches”】
父息子。
以前のブログでちょっとふれたクラレンス・カーターの「パッチェス」。タイトルの「パッチェス」は「つぎはぎ」のこと。この少年の洋服はいつもボロボロでつぎはぎだらけだったので、みんなから「パッチェス(つぎはぎ坊主)」などと呼ばれていた。それをタイトルにしたものだ。
ちょうど父を事故で失ったリック・ホールにとってはこの曲の歌詞が心に刺さった。どうしてもクラレンス・カーターに録音してもらいたいと考えた。
アラバマの農場で必死に働く父、その長男。父が死の床で長男、パッチェスに「あとの家族を頼む」という歌詞だ。
だが、問題がふたつあった。ひとつは、この曲はデトロイトのインヴィクタス・レコード所属のチェアメン・オブ・ザ・ボードのジェネラル・ジョンソンが書き、チェアメンたちが録音してアルバムの1曲にしていた。もし彼らがシングル・カットすると、カヴァーとして出したもので売れにくくなる。
ちょうどこのころ、リック・ホールのレーベル、フェイムはキャピトルが全米配給しており、インヴィクタスもキャピトルが配給していた。たまたまそのときに、キャピトルで販売会議があり、リックはそこで、インヴィクタスはこの曲をシングルのA面にしないことを知る。彼らはアルバムの別の曲「エヴリシングス・チューズデイ」をA面にして、「パッチェス」をB面にして、1970年7月末にリリースする。これがシングルの押し曲にならないことを知ったリックは、すぐにクラレンスに録音を持ちかける。
ところが、問題の二つ目が起こった。
固辞。
クラレンス・カーターが歌詞の一部に黒人蔑視的なニュアンスを感じたので、レコーディングを固辞したのだ。アラバマで貧困に生まれ、父を亡くして、家をささえなければならない13歳の息子についての歌を、クラレンスは「同胞をけなすことはできない」と。
だが、リックもどうしても録音してほしかったので、とりあえず、一回レコーディングしてくれ、それでだめだったら、あきらめるといい、スタジオで歌わせることになった。
点字で歌詞カードを作る時間もなく、クラレンスは歌詞を覚えずにスタジオ入りをした。そのためアシスタントがクラレンスの後ろで小さな声で歌詞を教えた。そのために、小さな声でその声が入っているという。
出来は、もちろん文句なしだった。リックはこれをスペシャルなものにしたいと思い、ストリングスをロスの一流アレンジャー、ジミー・ハスケルに頼み、数日後にロスに飛びストリングス部分を付け加える。
こうして出来上がった「パッチェス」は、1970年7月の前半にリリース、チェアメンのものより、少しだけ先にリリースされることになった。そして、見事なヒットになった。
このヒットを見て、キャピトル、インヴィクタスの人間はかなり怒ったらしいが、まあ、しかたないだろう。彼らがシングルのA面にしなかったのだから。
ちなみにこの時期のフェイム・スタジオは、例のスワンパーズ(ロジャー・ホーキンズ、デイヴィッド・フッド、ジミー・ジョンソン、バリー・ベケットら)が出て行ってしまい、新たなリズム隊を作っていた頃だった。このメンバーは、ギターにジュニア・ロウ、ジェシー・ボイスがベース(映画『マッスル・ショールズ』にもでてくる)、ドラムスにフリーマン・ブラウンという布陣だ。
クラレンス・カーターのヴァージョンは、ナレーションが多くを占め、実に淡々と物語を語る。これがラジオでヒットすると、クラレンスの元には多くの手紙が届いた。そして、多くの人は、これがクラレンスの実体験に基づくストーリーだと思った。なにしろ、彼はアラバマ生まれ育ちだからだ。
これは、クラレンスにとって3枚目のゴールド・ディスクに輝く。
(当初の日本語表記は「パッチ」だった。現在は「パッチズ」)
執念。
キャピトル/インヴィクタスの連中は、「リック・ホールに出し抜かれた」と思っただろうが、ソングライターであるジェネラル・ジョンソン、ロン・ダンバーはすこし違った感想を持つことになる。
それは、この曲が翌年グラミー賞「ベスト・リズム・アンド・ブルーズ・ソング」を受賞することになったからだ。
「パッチェス」は、リック・ホールのキャリア・ソングになったのと同時に、クラレンス・カーターにとってもキャリア・ソングになった。まさに、リック・ホールが執念で作り上げた一曲といっていい。
レコード版
ライヴ版
http://www.youtube.com/watch?v=-84fn58GTV0
Clarence Carter - Patches
アルバム
パッチェス Patches
Written by General Johnson, Rod Dunbar
I was born and raised down in Alabama
On a farm way back up in the woods
I was so ragged that folks used to call me Patches
Papa used to tease me about it
'Cause deep down inside he was hurt
'Cause he'd done all he could
My papa was a great old man
I can see him with a shovel in his hands, see
Education he never had
He did wonders when the times got bad
The little money from the crops he raised
Barely paid the bills we made
For, life had kick him down to the ground
When he tried to get up
Life would kick him back down
One day Papa called me to his dyin' bed
Put his hands on my shoulders
And in his tears he said
He said, Patches
I'm dependin' on you, son
To pull the family through
My son, it's all left up to you
Two days later Papa passed away, and
I became a man that day
So I told Mama I was gonna quit school, but
She said that was Daddy's strictest rule
So ev'ry mornin' 'fore I went to school
I fed the chickens and I chopped wood too
Sometimes I felt that I couldn't go on
I wanted to leave, just run away from home
But I would remember what my daddy said
With tears in his eyes on his dyin' bed
He said, Patches
I'm dependin' on you, son
I tried to do my best
It's up to you to do the rest
Then one day a strong rain came
And washed all the crops away
And at the age of 13 I thought
I was carryin' the weight of the
Whole world on my shoulders
And you know, Mama knew
What I was goin' through, 'cause
Ev'ry day I had to work the fields
'Cause that's the only way we got our meals
You see, I was the oldest of the family
And ev'rybody else depended on me
Ev'ry night I heard my Mama pray
Lord, give him the strength to face another day
So years have passed and all the kids are grown
The angels took Mama to a brand new home
Lord knows, people, I shedded tears
But my daddy's voice kept me through the years
Sing
Patches, I'm dependin' on you, son
To pull the family through
My son, it's all left up to you
Oh, I can still hear Papa's voice sayin'
Patches, I'm dependin' on you, son
I've tried to do my best
It's up to you to do the rest
I can still hear Papa, what he said
Patches...
ENT>GREAT SONG STORY>Patches
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オリジナル・サイト
2014年07月07日(月)
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11889551169.html
★# (続・マッスル・ショールズ)「パッチェス」「パッチズ」の物語
【Patches : Japanese Translation】
訳詞。
昨日のブログで、クラレンス・カーターが歌う「パッチェス」について書いた。英語詞をそのままのせたおいたが、やはり、何度か聞いているうちに日本語にしておこうと思い、今日はその訳詩をご紹介する。
やはり、この悲しい歌に悲しい曲調なのだが、最後にはこう希望みたいなものがあって、ポジティヴな気持ちにさせられる。これはいい。
ちなみに、日本語の表記は「パッチズ」が多いのだが、僕にはヒットした当初から「パッチェス」に聞こえる。つぎはぎのこと。パッチをつける、などと使う。ここでは、つぎはぎだらけの服を着ていた主人公がみんなから、「パッチェス(つぎはぎ君、つぎはぎ坊主)」みたいな感じで呼ばれている。まあ、ニックネームといえばニックネームか。
この曲はこんなストーリーだ。実によく3分少々に収められている。
(アラバマの農場=イメージ)
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Patches
「パッチェス」(ジェネラル・ジョンソン、ロン・ダンバー作)(クラレンス・カーター・歌)
アラバマの森の奥深くにある農場。僕はそんなところに、生まれ、育った。僕が着てたものはボロボロでつぎはぎだらけだったから、みんなに「つぎはぎ(パッチェス)坊主」と呼ばれた。パパにもそれをからかわれたんだよ。でも、パパも一生懸命がんばっていたから、実は僕がそう呼ばれることに心を痛めていたんだ。
僕のパパは本当に素晴らしい人間だった。学校にも全然行けなかったけど、いつもシャベルを持って働いていた。
景気が悪くなっても、パパはやりくり上手だった。畑仕事での雀の涙ほどの稼ぎで、家計をなんとかしていた。
だけど、人生の歯車が父を地面にたたきつけたんだ。何度か起き上がろうとしたけど、そのたびに打ちのめされてしまった。
ある日、パパに死の床に呼び出された。パパが僕の肩に手をかけ、目に涙を浮かべこう言った。
ツギハギ坊主、いいか、
わしゃな、お前をあてにしてるからな。家族のあとをよろしく頼むぞ、すべてはお前の肩にかかってるんだからな。
それから2日後、パパが息を引き取った。僕はその日大人の男になったんだ。
だからママに言った。「僕、学校もう、行かないっ」
だけど、ママは「お父さんはお前を何があっても絶対に学校に行かせることにしてたわ」ときっぱり言った。
だから僕は毎朝、にわとりにエサをやり、薪を割ってから学校に行った。
つらくてこんなことは続けられないと思ったこともあった。
ただただこの家から逃げ出したいと思った。でもそのたびにパパが死の床で目に涙を浮かべ言った言葉が頭をよぎった。
つぎはぎ坊主(パッチェス)
わしゃ、お前を頼ってるんだ、息子よ
わしゃできる限りのことはやるからな
あとはお前が全力を尽くせ。
時は刻まれ、ある日激しい雨に襲われ
作物がすべて流されてしまった。
13歳だった僕は確信したんだ。
これから何が起ころうとも、この僕の家族を、そして世界すべてを、僕が支えていかなければならないんだ、と。僕も、ママも、みんなもこれからいばらの道が続くことがわかっていた。
これからまた、僕は毎日畑仕事に汗を流さなければならない。なにしろ、生きていくにはそれしかないんだから。
僕は一家の主(あるじ)だった。家族全員の人生が僕の肩にかかっていた。
毎晩、ママがお祈りしているのが聞こえてきた。「神様、息子に朝を迎える強さをわけたまえ」と。
何枚もの暦(こよみ)がめくられ、子供たちはみな大人になった。
そして子供たちがママに新しい家をプレゼントした。神様、泣いたよ、僕。
でもね、ずっとパパの声が耳元で響き続けてきたんだ、だから今までがんばってこれたんだよ。
あの声のおかげさ。
つぎはぎ坊主、わしゃ、お前をあてにしてるからな、息子よ。
家族をしっかりまとめろよ。
息子よ、みんなお前にかかってるんだ。
僕にはそんなパパの声がいまだに聞こえてくる。
つぎはぎ坊主、わしゃ、お前をあてにしてるからな。
わしゃ最善を尽くす、だからあとはお前に任せたぞ。
パパのささやきがいまだに僕の耳元で聞こえてくるんだ…
(訳詞・ザ・ソウル・サーチャー・大意)
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この「パッチェス」について、ちょっと調べていたら、なんと作家の村上春樹さんがこの曲を訳してエッセイを書いているという。アマゾンで探したら新書ででていたので、さっそくぽちってみた。いったい、どんな訳詞になっているか、いまから楽しみだ。
村上ソングズ (村上春樹翻訳ライブラリー) (日本語) 単行本 – 2010/11/1
村上 春樹 (著)
https://amzn.to/2X2tstV
それにしても感動的な一曲だ。
これをアラバマ出身のクラレンス・カーターが歌うと、味わいも倍加する。
ENT>GREAT SONG STORY>Patches
ENT>Carter, Clarence
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