
●ブルース・ハウズ(フィラデルフィア・サウンドのプロデューサー、ソングライター)死去
●ブルース・ハウズ(フィラデルフィア・サウンドのプロデューサー、ソングライター)死去
【Bruce Hawes Dies : Songwriter, Producer for The Sound Of Philadelphia】
訃報。
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●ブルース・ハウズ(フィラデルフィア・サウンドのプロデューサー、ソングライター)死去
【Bruce Hawes Dies At 67 : Songwriter, Producer for The Sound Of Philadelphia】
訃報。
フィラデルフィアを本拠にソングライターとして、アレンジャー、プロデューサー、キーボード奏者、ヴォーカリストとしても活躍してきたブルース・ハウズ (Bruce Hawes)が2021年2月17日までに死去した。67歳。
1972年頃から、フィラデルフィアでトム・ベルの元、チャールズ・シモンズ、ジョー・ジェファーソンらとトリオのソングライティング・チームを結成。トム・ベルがてがけていたスピナーズの作品を皮切りに、スタイリスティックス、フィリス・ハイマン、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツなど多くのフィラデルフィアのアーティストに楽曲を提供した。その数は300以上にもなるという。代表作には、スピナーズの「セイディー」、「ゲームス・ピープル・プレイ」など。1970年代の作品がのちにヒップホップ系アーティストによってサンプリングされ使用されたりしている。
評伝。
ブルース・ハウズは1953年7月26日フィラデルフィア生まれ。53年生まれであれば67歳。53年から55年の間の説もあるが、おそらく53年なのだろう。父親が教会関係者で子供のころから教会に出入りし、歌ったりオルガンを触ったりしていた。3-4歳の頃から自作曲を書き始めていたという。子供の頃に姉妹のリンダとデビーとともに、ハウズ・トリオなる3人組ヴォーカル・グループを作っていた。9年生(日本では中学3年に相当)卒業時には、他の生徒らと歌ったという。このとき一緒に歌ったアニタ・はのちにジョン・ホワイトヘッドと結婚したという。教会で自作曲を書くようになり、そのうちの作品はオール・シティー・ジュニア・クワイアーやクララ・ワード・シンガーズなどによって歌われたという。
ピアノ、歌をマスターし、ハイスクール後、大学に入学するが、音楽の道を究めようと中退。
1972年、マイティー・スリー・ミュージック(音楽出版社)のアール・シェルトンと知り合い、同社の専属ソングライターに。マイティー・スリーはフィラデルフィア・インターナショナル・レコーズ(以下PIR)の傘下にある音楽出版社で、PIR所属のアーティストに曲を提供することになる。
ブルース・ハウズが書いた「アイ・クド・ネヴァー・リペイ・ユア・ラヴ」は、ちょうどトム・ベルがてがけることになったスピナーズのアトランティック移籍第一弾『スピナーズ』(1973年3月末発売)に収録。
I Could Never Repay Your Love-The Spinners-1973
https://www.youtube.com/watch?v=Sv1eazJuPNY
これは彼の実質的なデビュー作に。このアルバムはスピナーズのアトランティック移籍第一弾として「アイル・ビー・アラウンド」などが大ヒットしたことで、ベストセラー、ゴールド・ディスクに。そして、その頃、事務所でジョー・ジェファーソンを紹介され、さらにチャールズ・シモンズが加わり、3人でソングライター・トリオを結成。この3人で最初にできた曲が「クド・ディス・ビー・ジ・エンド」。
これは、スタイリスティックスに録音され、彼らの3作目『ロッキン・ロール・ベイビー』(1973年11月)に収録された。
Could This Be The End - Stylistics
https://www.youtube.com/watch?v=c5_d_wiriIs
これ以後、彼らトリオは毎週、毎日のように事務所に入り浸り、ひたすら曲作りをするようになった。
この年、ブルースはもう1曲「ビタースイート」というインストゥルメンタル曲を作り、これがMFSBの最初のアルバム『MFSB』(1973年3月発売)に収録される。
Bittersweet - MFSB
https://www.youtube.com/watch?v=5jFKW_J-rNk
いわば、最初からソングライターとして大変恵まれたスタートを切ったことになる。
スリー・ディグリーズのこれも、1973年9月のリリース。
The Three Degrees - Can't you see what you're doing to me (Ruud's Extended Mix)
https://www.youtube.com/watch?v=4RjKT6K8Taw
Little Anthony & the Imperials -I don't have time to worry
https://www.youtube.com/watch?v=GwdOUS6R-A0
ブルース一人の作品で、1973年リリース。
ちょうど、フィラデルフィア・インターナショナル・レコーズ、スタイリスティックスなどが1972年から急速に盛り上がり始めていた時期だけに、その時流に完璧に乗ることができた。また、トム・ベル、ギャンブル&ハフともに、フィラデルフィア・サウンドが一大ブームの様相を呈してきて、次々と仕事が舞い込むようになったために、曲作りなどが追い付かず、どんどんと若手のソングライターなどをいれるようになった時期でもあった。
しかし、勉強熱心だったブルースは、ただ曲を作るだけでなく、アレンジをすることを勉強。トム・ベルに勧められた『ハウ・トゥ・ビー・アン・アレンジャー』というハウツー本を買い独学でアレンジを覚えた。そうして曲作りだけでなく、アレンジもしたのが、ウィスパーズの『ビンゴ』のアルバム(1974年5月)に収録されている「ホエア・ゼア・イズ・ラヴ」という曲だ。実際は、ジャック・フェイスというアレンジャーの手助けを得て、楽譜に起こした。ジャック・フェイスはこれを機に、特にオーケストラ・アレンジなどの先生、メンターになってくれた。ちなみに、レコードには共同アレンジャーとして、T.G.コンウェイの名前がクレジットされている。
The Whispers - Where There Is Love
https://www.youtube.com/watch?v=1tWWgV26TZs
曲を書くときのコツは、わかりやすいストーリーを歌詞の中にいれこむこと、そこにキャッチ―なメロディーをいれ、誰でも覚えやすい曲にすることだそうだ。当たり前といえば当たり前、基本中の基本だ。
そして彼は歌も歌えたので、レコーディングではバックコーラスも担当した。ディオンヌ・ワーウィック、ジョニー・マティス、メルバ・ムーア、スピナーズなどなど多くの作品でバックコーラスもいれた。
こうして次々と作品を作り続けたブルース・ハウ、チャールズ・シモンズ、ジョセフ・ジェファーソンのトリオは、フィラデルフィア・サウンドの若手ソングライター・チームとして頭角を現す。そして、生まれるのがスピナーズの「マイティー・ラヴ」(1974年、ソウル・チャート1位)、「セイディー」(1975年、ソウル7位)であり、「ゲームス・ピープル・プレイ」(1975年、ソウル1位、ポップ5位)、「ラヴ・オア・リーヴ」(1975年、ソウル8位)、だった。
Mighty Love
https://www.youtube.com/watch?v=mU7akB-WB0g
Sadie
https://www.youtube.com/watch?v=JXFuDXMGBN8
Games People Play (冒頭にメンバーとのちょっとした質疑応答あり)
https://www.youtube.com/watch?v=DJBxsz11lVI
PIR/マイティー・スリーに所属していたのは、1980年くらいまでのようで、以降は自身で音楽出版社を作ったり、自身で楽曲の著作権を管理するようになった。
1981年のフィリス・ハイマンの作品。「トゥナイト・ユー・アンド・ミー」。
Phylis Hyman - Tonight You And Me
https://www.youtube.com/watch?v=cjAmUHsuTeg
また、1981年にはブロードウェイに進出。メルバ・ムーアが出る『イノセント・ブラック』に曲を提供。ブルースはメルバの3枚のアルバムに曲を提供するようになる。
ほぼ同じ時期、ブルースは約5年ほど、カリフォルニアに本拠を移し、ザ・ミックス(The Myx)という。これはヒットには至らなかったが、フィラデルフィアに戻ると再度勉強のためにグラスぼろ州立大学へ通い、音楽理論とクラシックのヴォーカル・トレイニングを受けた。
その後、ケニー・ギャンブルから久しぶりに声がかかり、一緒に作ったのが、結果としてフィリスの最後のアルバムとなる『フォーエヴァー・ウィズ・ユー』(1998年)に収録された「ザ・キッズ」だ。
Phyllis Hyman - The Kids
https://www.youtube.com/watch?v=vSOWvtrA1wE
このあとも、たとえば、1999年、メリー・J・ブライジがファースト・チョイスのヒット「レット・ノー・マン・プット・アサンダー」をカヴァー。またサンプリングされたりしてきた。
Mary J Blige - Let No Man Put Asunder
https://www.youtube.com/watch?v=axWBLIasTQI
2010年に自身のミニ・アルバムを出し、同作品から「アイ・ウォンと・トゥー・ビー・メロウ」のシングルを出した。
2013年には初の自伝『グローイング・アップ・イン・ザ・サウンド・オブ・フィラデルフィア』を発売した。
Growing Up in the Sound of Philadelphia: From the Inside Out (2nd Edition) (英語) ペーパーバック – 2015/5/18
Bruce a Hawes (著)
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■トリオの一角、ジョセフ・ジェファーソンの訃報
ジョセフ・B・ジェファーソン77歳で死去~フィリー・ソウルのヒット・ソングライター
2020/07/29
https://note.com/ebs/n/n737871e38ab4
「ソウル・サーチン・アーカイヴ・シリーズ」006 「12時45分の男」~スピナーズの最低音男パーヴィス・ジャクソン
2020/05/06
https://note.com/ebs/n/n3874a7cbe566
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