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■■ アーカイヴ・シリーズ023 フェイドアウトの先には夢がある~ウィリー・ミッチェル■■

■■ アーカイヴ・シリーズ023 フェイドアウトの先には夢がある~ウィリー・ミッチェル■■

テネシー州メンフィス。アメリカ南部の都市。ロック・ファンにはエルヴィス・プレスリーのホームタウンとして知られ、ソウル・ファンにはアル・グリーンに代表されるハイ・サウンド、オーティス・レディング、アイザック・ヘイズ、サム&デイヴなどに代表されるスタック・レコーズのある街として知られる。そのメンフィスのハイ・レコーズの総帥であり、アル・グリーンの育ての親がプロデューサーのウィリー・ミッチェルだ。

ウィリー・ミッチェルとハイ・サウンド関連のストーリーをアーカイヴからまとめた。

(本作・本文は約8000字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、16分から8分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと27分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴きますと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)

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目次
1. フェイドアウトの先には夢がある
2. アル・グリーン久しぶりにロイヤル・スタジオへ
3. マイク・ナンバー・ナイン
4. ウィリー・ミッチェル死去~評伝


1.フェイドアウトの先には夢がある

2004/02/28 (Sun)
There's A Dream After Fade-out: Willie Mitchell Revealed His Secrets Of Hi Sound

https://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200402/diary20040228.html

夢。

「メンフィスのロイヤル・スタジオのドラムブースのところね、皮系は持ち込み禁止なのね。つまりドラムの上の皮の部分とか、そのあたりを外部の人間は変えちゃいけないんですよ。それで、あらゆるマイクが釘で打ち付けられてがっちり固定されてるんですよ。そうやって、マイクの位置が動かないようにして、いつでも同じ音を出せるようにしてるってことなのね」

いきなり、こんな濃い話。日本のライヴ・ステージの音響エンジニアをされている末永博嗣さんのメンフィス話だ。しかも、これが1975年のことだというから、それもまたすごい。マーチンさんに末永さんを紹介され、やにわに「メンフィスのロイヤル・スタジオで録音したことがあるんですよ」という話が始まったのだ。

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https://www.youtube.com/watch?v=uSu6tcbMOu0

末永さんは、1972年頃 アル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」(1972年の大ヒット)を聴いて、メンフィス・サウンドに打ちのめされ、それ以来メンフィスのしかも、ハイ・サウンドに一直線に走った人である。ハイ・サウンドとは、メンフィス音楽界のドンとも言えるプロデューサー、ウィリー・ミッチェルの持つ「ハイ・レコード」から出た作品の数々のことを指す。ここに所属するアーティストはいずれも、同じようなサウンドで作られ、それが非常に個性的だったため、「ハイ・サウンド」などと呼ばれるようになった。アーティストで言えば、アル・グリーン、O.V.ライト、アン・ピーブルス、オーティス・クレイ、クワイエット・エレガンス、ドン・ブライアントなどで、彼らの作品はいずれも強烈な個性をもつ「ハイ・サウンド」でできている。

ブログ ウィリー・ミッチェル 末永博嗣

(末永さん)

末永さんは大阪出身で、1970年代初期、加川良というシンガーのレコード制作にディレクターとして携わっていた。そして、自分がメンフィスがとても好きということもあって、どうしても一度メンフィスに行ってここでレコーディングしてみたい、と考えた。最初ロスに行き、交渉をしていたが、ものすごく高いことを言われ、らちがあかないので、直接メンフィスに単身乗り込んだ。アポなしで、ロイヤル・スタジオのドアをノックしたのだ。そして、ちょうど彼が求めるミュージシャンたちのスケジュールがあい、加川良のレコーディングがメンフィスで行われることになったのである。このアルバムは、1976年の『南行きハイウェイ』という作品になる。

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加川良


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南行きハイウェイ 加川 良 (全曲)


https://www.youtube.com/watch?v=dtCnQHoHmUs

当時既に他のスタジオでは16チャンネルのマルチトラックが使えていたが、ウィリー・ミッチェルらはそれでも8チャンネルを使っていた、という。それは、ウィリーが16チャンネルの音に満足せず、8チャンネルの音のほうが気に入っていたからだという。チャンネル数が足りなくなると、いわゆる「ピンポン」という作業をして、チャンネル数をかせいでいた。(「ピンポン」とは、8チャンネルのうち例えば6チャンネルを使って録音したものを、バランスを整えて、残る2チャンネルにトラックダウンして音を整え、またその空いた6チャンネルのところに新たに音を録音していくという方法。チャンネル数が限られていたときは、よく使われていた手法)

「それでね、8チャンネルしかないからか、フェーダー(音量を上げ下げするスイッチ)が、縦型の上下に上げるやつじゃなくて、丸く回転するヴォリームつまみなんですよ。その8チャンネルへのこだわりは、ウィリーならではのものでしたね」

ブログ ウィリー・ミッチェル 8トラック

(8トラック・レコーダーズ=イメージ)

末永さんがグラス片手に話す。「ハイ・レコードの作品、つまりウィリー・ミッチェルの作品って、あることに気がついたんですけど、どれも全部フェード・アウトで終るんですよ。一曲もカットアウトで終る曲がない。ライヴでは別ですけどね。で、前から不思議に思ってて、メンフィスに行ったときに、ウィリー・ミッチェルに訊いたんです。そうしたら、彼は『よく気付いたな』って言いながらこうこう答えた。『その後(フェード・アウトの後)は、聴く者が想像すればいいだろう。フェード・アウトのほうが、その先に夢があるだろ』」

な〜〜るほど。うまいことを言うもんだ。フェード・アウトの先には、夢がある・・・か。いい話だ。

ウィリー・ミッチェル ロイヤル・スタジオ ロゴ

Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA

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この話を書いたのは2004年だが、末永さんからこれを聴いて、うちにあるハイ・レコーズのCDを片っ端から聴いたことを覚えている。「ああ、これも(フェイド・アウト)だ」「おおっ、これも」 確かにカットアウトで終わる曲は見つからなかった。この話は、ウィリー・ミッチェルやアル・グリーンのことを話したりするときに必ず思い出すストーリーだ。

続いては、そのウィリー・ミッチェルの持っていたロイヤル・スタジオについて、さらに、アル・グリーンの新作について。

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2. アル・グリーン久しぶりにロイヤル・スタジオへ

https://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030924.html

2003/09/24 (Wed)
Al Green Recorded New Album At Old Royal Studio With Old Microphone

帰郷。

そこはかつて映画館だった。その名は「ロイヤル・シアター・シネマ」。

ブログ ウィリー・ミッチェル ロイヤル・シアター・シネマ

1960年代にその映画館はレコーディング・スタジオになった。そして、名前はシンプルに「ロイヤル・スタジオ」に。1970年代初期からこの小さく汚いスタジオからは数々のヒットが世界中に放たれた。スターになったのは、アル・グリーン、アン・ピーブルス、シル・ジョンソン、O.V.ライト・・・。ここでレコーディングしていったシンガーも多い。

ブログ ウィリー・ミッチェル ハイ・レコーズ 外観

メンフィスの貴公子、アル・グリーンがそのメンフィスで新作をレコーディングした。しかも、かつて1970年代に手を組んで数多くの大ヒットを放ったプロデューサー、ウィリー・ミッチェルとともに、同じロイヤル・スタジオで、しかも同じマイクロフォンを使って録音したのだ。1970年代のハイ・サウンドが再現されるのか。

これは、アル・グリーンがこのほど契約したブルーノート・レコードからの移籍第一弾アルバムで、タイトルは 『アイ・キャント・ストップ』 。全米で2003年11月18日の発売が予定されている。

I Can't Stop
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メンフィスのロイヤル・スタジオで、ウィリー・ミッチェルとアル・グリーンは、1970年代初期に「タイアード・オブ・ビーイング・アローン」、「レッツ・ステイ・トゥゲザー」、「シャララ」など多数の作品を録音、ヒットさせた。いわば盟友同士である。そのアル・グリーンとウィリー・ミッチェルが手を組むのは1985年のアルのゴスペル・アルバム 『ヒー・イズ・ザ・ライト』 以来のことだという。

He Is the Light
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一方、この新録による新作の発売のため、彼のハイ時代の4枚組ベスト作品集 『アル・グリーン、イモータル・ソウル・オブ…』 の発売が2004年初頭に延期された。この4枚組には1967年から1978年までにハイ・レコードで録音された75曲が収録され、マスターテープから新たにリマスターされている。

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(ここだと7万円くらいになっているが、アメリカから買えば送料込みで120ドル前後)→


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このロイヤル・スタジオは、ウィリー・ミッチェルが所有しているが、彼は1970年代に数多くのヒットを生み出したハイ・レコード(アルなど前述のアーティストはみなハイ・レコード所属)の重要人物でもあった。そして、ロイヤル・スタジオで、ウィリーのプロデュースでアルバムを録音した日本人歌手がいる。オリト(Orito)だ。そのアルバムは1995年6月 『ソウル・ジョイント』 のタイトルで発売された。

ソウル・ジョイント
ORITO



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スタジオは軽く30年以上の古さ、しかも、マイクも30年以上前のもののはずだ。21世紀の今日、果たして四半世紀前へタイムトリップさせてくれるか、楽しみだ。

Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA

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そして、ロイヤル・スタジオの名物、「マイク・ナンバー・ナイン」の話。

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3.マイク・ナンバー・ナイン

NO.470
2003/12/07 (Sun)
Mike # 9: That's Al Green Used To Use


https://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200312/diary20031207.html

9番。

トータス松本さんと井筒監督のアメリカ南部の旅をつづった番組『井筒監督&トータス松本 歌った! 踊った! 泣いた! アメリカ南部★ブルースな旅』を見ました。(2003年12月6日・テレビ朝日で放送) 

いやあ、音楽ファンにはたまらない内容ですねえ。特にブルースマン、ロバート・ジョンソンが「魂を売ったクロスロード(十字路)」って、本当にあそこに特定されてるんですか。知りませんでした。すごいなあ。それは、松本さんじゃなくても、感激するねえ。

ブログ ウィリー・ミッチェル クロスローズ

(そのクロスローズ)

それからロイヤル・スタジオでウィリー・ミッチェルと対面するシーン。なんだか日テレの『バラ珍』みたいな強引な演出でしたが、まあ、あれも素材がいいだけに許しましょう。(笑) ウィリー・ミッチェルの声の吹き替えした人、上手でした。雰囲気でてました。

アル・グリーンの新作をウィリー・ミッチェルがやっているというのを知った松本さんが驚いているのは、まあ、なんという奇遇ということなんでしょう。どこでもすぐにギター片手に歌ってしまう松本さんはなかなかいい感じで、好感度アップです。

しかし、彼がアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」を初めて知ったのが、タランティーノの映画 『パルプ・フィクション』 だったという告白には、相当衝撃受けました。1994年ですよ、1994年。まだたったの9年前。その映画の中で流れてきた「レッツ・ステイ・トゥゲザー」に瞬時に心を奪われた、という。それはそれでものすごくすばらしい感性なのですが、それまでに接点がなかったというのが驚きです。

ブログ ウィリー・ミッチェル パルプ・フィクション

最後にアル・グリーンがロイヤル・スタジオにやってきたのもよかったなあ。それと、ずっとアル・グリーンが使っていたというマイク「ナンバー・ナイン」が出されたのにはノックアウトさせられた。

http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030924.html
(上掲記事)


30年前のマイクなんでしょうね。そりゃあ、歌いたくなりますよね。「レッツ・ステイ・トゥゲザー」。そうそう、ウルフルズっていうのはソウルフルから取ったという話は前にどこかででてましたっけ。

ブログ ウィリー・ミッチェル トータス松本

ENT>TV>REVIEW>Tortoise Matsumoto

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そして、そのメンフィス・ソウルの重鎮、ウィリー・ミッチェル死去の報。

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4.ウィリー・ミッチェル死去

○ウィリー・ミッチェル~メンフィス・ソウルの重鎮、81歳で死去
2010年01月07日(木)

【Willie Mitchell Dies At 81】

訃報。

メンフィスを本拠にミュージシャン、アレンジャー、プロデューサーとして1950年代から活躍してきたメンフィス・ソウルの重鎮、ウィリー・ミッチェルが2010年1月5日(火曜)午前7時25分(日本時間5日・夜22時25分)、メンフィスのメソジスト・ユニヴァーシティー病院で死去した。81歳だった。2009年12月19日に心不全で緊急入院していた。ミッチェルは、メンフィスの貴公子と呼ばれたソウル・シンガー、アル・グリーン、あるいは、アン・ピーブルスなどの作品をプロデュースしヒットを出し、メンフィス・ソウルの隆盛に大きく寄与した。

ブログ ウィリー・ミッチェル

ウィリー・ミッチェルは、1928年(昭和3年)3月23日ミシシッピー州アシュランド生まれ。8歳頃からトランペットを始め、ハイスクール時代にメンフィスに移る。その頃からアマチュア、セミ・プロのバンドで活動を開始、1950年代にはメンフィスのハイ・レコード、ロイヤル・スタジオに出入りするようになり、ここで、当初はミュージシャンとして自身名義のインスト物などを出していたが、徐々にアレンジャー、プロデューサーとして活動するようになった。

Willie Mitchell – Greatest Hits (Full Album)


https://www.youtube.com/watch?v=wSpPGFPfASo

1969年、まだ無名だったソウル・シンガー、アル・グリーンと出会い、彼をハイ・レコードに迎え、自身でプロデュース。それまでのアルのシャウト系の唱法をソフトでささやくように歌うよう指示。これが受け、アルは「レッツ・ステイ・トゥゲザー」(1972年)をはじめとする大ヒットを続々と出すようになった。ミッチェルはハイ・レコード、ロイヤル・スタジオの実質的な実力者になり、メンフィス・サウンド、ハイ・サウンドの重鎮になっていく。アル以外にも、アン・ピーブルス(「アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン」1973年)、シル・ジョンソン(「テイク・ミー・トゥ・ザ・リヴァー」1975年)、O.V.ライト(「プレシャス・プレシャス」1978年)などのアーティスト、作品を世に送り出した。

Ann Peebles – I Can’t Stand The Rain (1974)


https://www.youtube.com/watch?v=A09GZeORYlo

彼がプロデュースした作品は、アル・ジャクソンとハワード・グライムスが生み出す特徴的なドラム・サウンド、ティーニー・ホッジスのギター、チャールズ・ホッジスのオルガン、リロイ・ホッジスのベースという「ハイ・サウンド」でまとめられ、一世を風靡した。

一時期ミッチェルと離れていたアル・グリーンは2003年、ブルーノート・レーベルに移籍したのを機に、ミッチェルをプロデューサーとして再び向かえた。また、ウィリー・ミッチェルは、昨年秋に出たばかりのロッド・スチュワートのソウル・カヴァー・アルバム『ソウル・ブック』でも、2曲でアレンジをしている。

ミッチェルがてがけた最大の成功者アル・グリーンは自身の公式サイトに大きなミッチェルとアルの写真を掲げ、次のように書いている。



http://www.algreenmusic.com/

A Magical Collaboration
Gone, but never, ever forgotten
奇跡のコラボレーション
師去りとて、決して忘却することなく

このトップページには、ミッチェル死去のテレビニュースの映像(約2分弱)もアップされている。

++++

邂逅。

ウィリー・ミッチェルといえば、アル・グリーン、アン・ピーブルス、ドン・ブライアント、O.V.ライト、ハイ・レコードのさまざまなヒットだ。あの特徴的なサウンドは本当に1970年代のソウルだ。最近ではアル・グリーンとの作品、ロッドの作品のほか、日本人オリトの作品などが思い出される。オリトは一昨年(2008年)43歳で急逝したが、一足先に行った天国で両腕を広げてミッチェルを待ち受けていることだろう。

ご冥福をお祈りする。

Don Bryant


https://www.youtube.com/watch?v=MId5yYKGI-8

O.V. Wright - God Blessed Our Love~When a Man Loves a Woman~That's How Strong My Love Is


https://www.youtube.com/watch?v=RK5gKI2swvM

O.V.Wright (Full Album)



https://www.youtube.com/watch?v=WM7ypUjLMj4


■過去ウィリー・ミッチェル関連記事

2004/02/28 (Sun)
There's A Dream After Fade-out: Willie Mitchell Revealed His Secrets Of Hi Sound
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200402/diary20040228.html
ウィリー・ミッチェルに直接会ったエンジニア末永さんのメンフィス話。僕の好きないい話だ。

2003/12/07 (Sun)
Mike # 9: That's Al Green Used To Use
http://www.soulsearchin.com/entertainment/tv/diary20031207.html
トータス松本さんがテレビ番組でメンフィスを訪れ、ロイヤル・スタジオに潜入。

2003/09/24 (Wed)
Al Green Recorded New Album At Old Royal Studio With Old Microphone
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030924.html
アル・グリーンとウィリー・ミッチェルの再会作。2003年作品。

July 16, 2008
オリト・トリビュート・ライヴ
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10116722668.html
メンフィスのウィリー・ミッチェルにプロデュースしてもらったオリトの死去後のトリビュート・ライヴ。

February 27, 2008
オリト死去
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10075704866.html

March 13, 2006
OA Farewell Party
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200603/2006_03_13.html
青山のソウルスナック、OAの閉店パーティーで。OAのママの助言によってメンフィスに行くことになったオリト。

■アル・グリーン 『フリーソウル』のベスト

フリー・ソウル : クラシック・オブ・アル・グリーン
アル・グリーン
ビクターエンタテインメント (2000-06-28)


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■ニュース記事

Wednesday January 6, 2010 MYT 11:16:00 AM
Producer and musician Willie Mitchell dead at 81
http://www.star-ecentral.com/news/story.asp?file=/2010/1/6/music/20100106112101&sec=music

Famed musician, record producer Willie Mitchell dies
By Bob Mehr
Posted January 5, 2010 at 10:38 a.m. , updated January 5, 2010 at 2:38 p.m.
http://www.commercialappeal.com/news/2010/jan/05/musician-music-producer-willie-mitchell-dies-age-8/

Willie Mitchell, Al Green producer, dies January 5, 2010 -- Updated 2126 GMT (0526 HKT)
http://edition.cnn.com/2010/SHOWBIZ/Music/01/05/obit.mitchell/

OBITUARY>Mitchell, Willie, March 1, 1928 - January 5, 2010, 81 years-old

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