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マイアミ・サウンドの重鎮~スティーヴ・アレイモ84歳で死去
マイアミ・サウンドの重鎮~スティーヴ・アレイモ84歳で死去
【Steve Alaimo Dies At 84 : Producer Behind The Miami Sound】
訃報。
元ティーンのアイドル・シンガーで、その後、裏方にまわり、マイアミ・サウンドの重鎮プロデューサーになったスティーヴ・アレイモ Steve Alaimo が2024年11月30日に死去した。84歳。逝去の一週間後85歳になるはずだった。死因など不明。
ティーンのアイドル歌手からソングライター、プロデューサーに転じ、マイアミ・サウンドの隆盛を担った重要人物の1人。
This singer and producer helped make the Miami sound — and was a force behind big hits By Howard Cohen Updated December 04, 2024 3:33 PM
https://www.miamiherald.com/news/local/obituaries/article296431094.html
RIP Steve Alaimo, 84, Pop Singer, Music Man Behind Acts from Sam & Dave to KC & the Sunshine Band, George McRae
December 5, 2024 1:21 pm
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評伝。
1939年12月6日ネブラスカ州オマハ生まれ。
5歳でニューヨークに移り、さらに、マイアミ大学に通う傍ら音楽業界入り。従兄弟のバンドでギタリストとなり、地元マイアミで広くレコード業、レコード制作業などを営んでいた音楽業界人ヘンリー・ストーンに認められ彼のレーベルから「ブルーアイド・ソウル・シンガー」としてデビュー。ソロとして、シングル盤を出すがヒットせず、ディック・クラークの誘いで音楽番組『ホエア・ジ・アクション・イズ』のプロデューサーになり、以後、基本的には裏方に回った。1967年番組終了後、アトランティックと契約。サム&デイヴ、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツなどに曲を提供したり、プロデュースするようになった。
Steve Alaimo – So Much Love
1969年、ヘンリー・ストーンと「アルストン・レコーズ」(アレイモのアルとストーンのストンを合体)を設立。多くの地元シンガーをプロデュース。1972年、アレイもがプロデュースもてがけたティミー・トーマスの「ホワイ・キャント・ウィ・リヴ・トゥゲザー」がミリオン・セラーになり、マイアミのインディ・レーベルが話題に。(ただしレーベルはグレイズ)。ストーンの元で多くの作品をてがけた。
Funky Nassau, Pt.1 – Beginning Of The End
Why Can’t We Live Together – Timmy Thomas
彼がかかわった作品にはベティ・ライト、クラレンス・リード、KC&ザ・サンシャイン・バンド、ジョージ&グウェン・マクレイ、リトル・ビーヴァ―、ラティモアなど多数。
I Love The Way You Love – Betty Wright Music
しかし、1981年ヘンリー・ストーンの会社が事実上倒産し、ニューヨークの事業化で、ルーレット・レコーズを持っていたモリス・リヴィーが資金援助で入ると、アレイモはそこを去り、不遇時代を過ごしたという。
一方、アレイモは1987年ヴィジョン・レコーズ設立。ここでいわゆる「マイアミ・ベース」のサウンドを生み出し、ヒットさせる。
Prince Rahiem – Do It
アレイモの訃報はほとんど報じられておらず、先日のグウェンの訃報をいろいろ調べていたら、アレイモの昨年の訃報を知った。メディアでも地元の「マイアミ・ヘラルド紙」に掲載されているのがあった程度。注目されていないので改めてきちんと紹介した。
OBITUARY>Alaimo, Steve, 12/06/1939 – 11/30/2024, 84 year old
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