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ディスコ・シンガー、イヴリン・トーマス、70歳で死去~「ハイ・エナジー」のヒット


ディスコ・シンガー、イヴリン・トーマス、70歳で死去~「ハイ・エナジー」のヒット
 
【Disco Singer Evelyn Thomas Dies At 70】
 
訃報。
 
イヴリン・トーマス Evelyn Thomas 2024年7月21日午前7時40分フロリダ州で死去。70歳。家族、また長年のプロデューサー、イアン・レヴィンらが明かした。
 
ディスコ・シンガー、1984年「ハイ・エナジー」の大ヒットで知られるようになった。日本でも、当時ディスコを中心に大ヒット。ちょうど、「ハイ・エナジー」というディスコ・ミュージックの中のジャンルを確立し、日本でもこの「ハイ・エナジー」が一時期流行った。その立役者とも言える人物/シンガーがこのイヴリン・トーマスだった。これはのちに「ユーロビート」と呼ばれるようになる。
 
イヴリン・トーマスは1953年8月22日シカゴ生まれ。エレン・ルシール・イヴリン・トーマス。Ellen Lucille “Evelyn” Thomas 母はピアノを弾きながら、ジャズなどを歌っていた。教会でもピアノ/オルガンなどを弾いた。祖母は教会でゴスペルを歌っていた。イヴリンは教会にも行ったが、クワイア・ディレクターから声が目立ちすぎるといって、クワイアにいれてもらえなかったという。そこで、主戦場はジャズ・クラブだったという。ジャズはかなり好きだった。などでゴスペルを歌っていたが、クラブなどでは世俗的な音楽も歌っていた。家ではサラ・ヴォーン、ダイナ・ワシントン、ナンシー・ウィルソンなどジャズのレコードがいつもかかっていた。
 
13歳の頃に、ジャズ・グループ、「コンテンポラリー・セレブレーション・オブ・ライフ」で初レコーディングを体験。そのアルバムで地元中心に中西部などでツアーに回った。その後、R&Bバンド「ムード・ミキサーズ」に参加。そこでは主としてR&Bのヒットを歌っていた。いわば「R&Bのトップ40バンド」なのだろう。そのバンドには、LJジョンソンがいた。もう一人のシンガーはパンプキン。(その下の名前はずっと知らないそうだ)
 
一方、イギリスのディスコDJだったイアン・レヴィン(1953年6月22日イギリス北部ランカシャー生まれ)は、1970年代中期から人気が加速化してきた「ノーザン・ソウル・シーン」を体現、そこでかかるレコードに興味を持ち、そうしたソウル、ディスコ・レコードを制作しようと考えた。
 
そこで、有能なシンガーをアメリカに探しに行こうと、何度か足を運び、そんな中、1975年8月、シカゴでオーディションをする。少し前に彼らはバーバラ・ペニントンを見つけ、上記のムード・ミキサーズからイヴリン、LJ、そして、パンプキンがオーディションを受ける。当初、イアンはすでに女性シンガーはいるのでイヴリンに興味を持たなかった。一足先にバーバラを見つけていたからだ。しかし、イヴリンはそこを頼み込んで、2分だけ時間を与えられ、そこでグラディス・ナイト&ザ・ピップスの「ニーザー・ワン・オブ・アス」(邦題、さよならは悲しい言葉、1972年のヒット)を歌った。すると、イアンは驚いて、レコード契約を申し出る。これを機にイアンとイヴリンの長い関係が始まった。
 
イヴリン・トーマス(当時21歳から22歳)だった。
 
イヴリンは「ウィーク・スポット」というバブルカム・ソウルを録音。するとこれがイギリスでちょっとした話題となり、なんとイギリスの名門テレビ番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』から出演依頼がきて、彼女は急遽ロンドンに飛ぶことになった。
 
その番組への出演は彼女のその時点の人生で最大のハイライトとなった。このとき、彼女は、自身のアイドルの1人でもあるアンディ・ウィリアムスと会うこともできたという。アンディも同番組に出演していたからだ。
 
それまで彼女はずっとジャズを歌ってきていたので、こうしたダンス・ミュージックは初めての経験だったのですべては新しい体験となった。
 
Evelyn Thomas – Weak Spot

 
「ウイーク・スポット」に続いて「ドゥームズデイ」などがイギリスだけでなく、アメリカのレコード会社から発売されるが、大ヒットには至らなかった。「ウィーク・スポット」は1976年、イギリスでは26位を記録。イヴリン、イアンはコンスタントにレコードを作り続け、1978年、カサブランカとイヴリンの契約をものにし、アルバムをリリース。これはヒットには至らなかったが、その後AVIなどに移籍。1984年、イギリスでディスコ物を中心にイアン・レヴィンと手を組んだレコード・シャック・レーベルから「ハイ・エナジー」を録音しリリースしたところ、瞬く間にディスコ/クラブ界隈でヒット。一躍人気ものとなった。「ハイ・エナジー」はイアン・レヴィンにとっても最大のヒットとなり、全世界で700万枚も売れたという。
 
Evelyn Thomas – High Energy 1984

 
 
その後は、イアンと再度手を組み、ハイ・エナジー・タイプのディスコ・レコードをコンスタントに出していた。「ハイ・エナジー」は日本でも「ユーロ・ビート」の前身として一時期ヒットし、日本盤レコードもでた。
 
現在は、フロリダ州に住んでいた。
 
近年は体調を崩していたようで、死期を悟ったイヴリンはイアンとその曲作りのパートナー、フィアクラ・トリンチとともに書いた「インスピレーショナル」という曲を録音することになっていた。イアンによれば、「イヴリンはこれを歌いたがっていたが、健康面がすぐれず、叶わなかった」という。
 
イヴリンの娘、キンバリー・トーマスはヤヤ・ダイアモンドの芸名でシンガー活動、ポッドキャストのDJなどをしているが、その幻の曲を録音しようかと考えているそうだ。
 
イヴリンの容体が悪化したときに、ヤヤの夫に連絡がきたが、ヤヤはイヴリンの最後には間に合わなかったという。
 
葬儀は、2024年7月31日午前11時から下記フロリダ州ポート・シャーロッテで行われた。
 
Celebration Of Evelyn Thomas
Restlawn Memorial Gardens
1380 Forrest Nelson Blvd #33952 Port Charlotte, FL 33952
 
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記事
 
(ピープル誌)
Evelyn Thomas' Daughter Wants to 'Keep Her Legacy Alive' After the 'High Energy' Singer's Death at 70 (Exclusive)
7/26/2024

https://x.gd/5QTmP

 
 

 
(ビルボード誌)
Evelyn Thomas, Disco Queen Behind ‘High Energy,’ Dies at 70
07/22/2024

 
育ての親、英プロデューサーの@ianlevineのコメント。フェイスブックより
https://x.gd/QuJGM →
 
https://youtube.com/watch?v=c6uVXJ3x2Sk…

 
@ianlevine
@TheEvelynThomas @Yaya_Diamond
 
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OBITUARY>Thomas, Evelyn (8/22/1953 – 7/21/2024, age 70)
 
 

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