クインシー・ジョーンズ91歳で死去~スーパープロデューサー~ジャズからソウル、R&B、ポップ、映画音楽、テレビ、雑誌発行までメディア王
クインシー・ジョーンズ91歳で死去~スーパープロデューサー~ジャズからソウル、R&B、ポップ、映画音楽、テレビ、雑誌発行までメディア王
【Quincy Jones Dies At 91 : King Of Media, Icon of “Music & Business”, Producer For From Frank Sinatra To Michael Jackson】
訃報。
アメリカの音楽、映画プロデューサー、ジャズ・ミュージシャン、アントレプレナー、クインシー・ジョーンズ Quincy Jones が2024年11月3日(日)ベルエアの自宅で家族に看取られながら亡くなった。91歳。
https://x.gd/7lsKi
米音楽業界最大級のプロデューサー、フランク・シナトラからマイケル・ジャクソンまでありとあらゆる作品をプロデュース。
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評伝。
1933年3月14日シカゴ生まれ。ジャズ・トランぺッターとして、カウント・ベイシー、ライオネル・ハンプトン・バンドなどを経て独立。ジャズ・バンドを率い、ヨーロッパなどをツアー。1960年代に入りメジャーのマーキュリー・レコーズで、ヴァイス・プレジデント(副社長、日本でいう部長級)になり、この頃、プロデュースしたレスリー・ゴーアの「イッツ・マイ・パーティー」を1963年全米(ポップ部門)ナンバーワンにし、ジャズの世界とは比べ物にならないほどの成功体験を得る。
シアトル時代にレイ・チャールズとも知己を得、その後ロスに。
→
https://www.theguardian.com/.../quincy-jones-musician...
CNNその他の全米メディアでも大々的に訃報を放送。
CNN→ https://x.gd/d6sDP
1960年代後期からA&Mレコーズでジャズ・アーティストとして多くのレコードをリリース。ジャズ、ソウル、R&B、ファンク、ラテン、ディスコ、ブルーズなどさまさまな音楽ジャンルをまたいで音楽をクリエイトするようになる。
一方、プロデューサーとして、ブラザーズ・ジョンソン、ルーファス、マイケル・ジャクソン、パティ・オースティン、ジェームズ・イングラムなど多数のアーティストを発掘、育成もした。中でも、マイケル・ジャクソンの『オフ・ザ・ウォール』から、『スリラー』、『バッド(BAD)』の3作はマイケルを世界的スーパースターに押し上げる大原動力となった。
親日家。
クインシー・ジョーンズ・アーティストとしては、1973年4月初来日、続いて1975年4月、1976年4月、1981年7月とコンサートを行った。1975年来日時には、当時はまだ無名でレコード・デビューをしていなかったジョンソン兄弟(ジョージとルイス・ジョンソン)をステージで大フィーチャー。日本の観客の度肝を抜いた。彼らはブラザース・ジョンソンとなり、1976年デビュー。すぐにゴールド・ディスクに輝く大ヒットに。さらに1979年7月マイケル・ジャクソンの『オフ・ザ・ウォール』をプロデュース。これがマイケルにとっての未曽有のヒットとなり、さらに続く『スリラー』で全世界的なベストセラーとなり、マイケルは宇宙規模のスーパースターになった。
1981年の来日時には、『オフ・ザ・ウォール』ですでに頭角を出していたキーボード奏者兼ソングライター、プロデューサーとなるロッド・テンパートンが帯同。
その後、多数のプロデュース作品を出す。
一方、1960年代からハリウッドでも活躍。多くの映画音楽をてがけた。『夜の大捜査線』『ゲットアウェイ』などヒット・サントラ・多数。また、連続テレビ映画『鬼警部アイアンサイド』のテーマ曲、番組音楽を担当。このテーマ曲は日本のテレビのワイドショー番組『ウィークエンダー』のテーマ曲となり、このイントロとともに「新聞によりますと~」のナレーションがお茶の間の話題を集めた。
1980年代には雑誌『ヴァイヴ』を発行したり、テレビ局を始めたり、あらゆるメディアを縦断する活躍ぶりをみせた。
1989年12月(『バック・オン・ザ・ブロック』)と1995年11月(『Qズ・ジューク・ジョイント』のプロモーションで来日。
2013年7月~8月にかけてアーティストとして最後の来日。このときは、日本のアーティストたちがクインシー・トリビュートするショーを舞台袖でしっかり見たのち、自身のバンド/オーケストラで1時間を超えるステージを行った。
2013年7月28日ブルーノート・ライヴ・セットリスト、ライヴ評→
7月31日ライヴセトリリポ→
8月1日ライヴレポ→
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11585196077.a
(写真)
2013年8月1日、国際フォーラムで、DJカマサミ・コング(残念なことに目をつぶっているw)とともに
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クインシーについては、インタヴューしたときのこと、さまざまな話など、書きたいことがたくさんありすぎてなかなかまとまらない。近いうちにトリビュート文をまとめたいと思う。
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今週(2024年11月9日)土曜日放送の『レディオ・ディスコ』内「ディスコ・サーチン」(15時30分~15時58分、東京のインターFM)で、緊急クインシー・特集をお送りします。
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OBITUARY>Jones, Quincy>March, 14, 1933 – November 3, 2024, 91 Years Old
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