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エンシノの夏1983 セルジオ・メンデス、83歳で死去~ブラジル音楽を世界に広めた功労者~1964年以来多数の来日の親日家

エンシノの夏1983 セルジオ・メンデス、83歳で死去~ブラジル音楽を世界に広めた功労者~1964年以来多数の来日の親日家
 
【Sergio Mendes Dies At 83】
 
昨日のブログ

 
(昨日の続き)
 
親日家。
 
セルジオ・メンデスは1964年(東京オリンピックの年)に初来日し、1984年のロス・オリンピックのテーマ曲を作り、そして、2024年パリ・オリンピックの年に亡くなった。「セルジオ・メンデス&ブラジル’66」として1968年来日以降は、本当にコンサートで多数回来日している。僕も何度か拝見した。
 
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そして、1983年8月5日午前中、ロスのエンシノでインタヴューした後に、次のインタヴュー場所に向かった。それは、ジャッキー・ジャクソン(ジャクソンズの長兄)のインタヴューが行われる場所だったのだが、なんとその邸宅がマイケル・ジャクソン、キャサリーン&ジョー・ジャクソンらが住む邸宅だったのだ。そのことは、ジャッキーと話をしている途中まで知らなかった。ジャッキーとリヴィングのようなところで、インタヴューをしているときに、その後ろをマイケル・ジャクソンが普通に歩いて行って、「え、なんで、マイケルがいるの?」と疑問に思ったので尋ねると、「だって、ここは彼の家だから」と言われ、腰を抜かした。この話は何度かしたり、書いたりしているので、少し省くが午後1時からのインタヴューが終わり、ぶらぶらしていると、庭にセルジオ・メンデスがいたのだ。さっき会ったばかりなのに! 僕も驚いたが、向こうも驚いたようだった。
 
どうやら「エンシノ・エンタテイナー仲間」のような感じで、お付き合いがあり、この日はジャクソン家のファミリー・リユニオンの日だったので、声がかかっていたようだ。
 
また、この日はその3日前にジョー・ジャクソンのオフィースでインタヴューしていたジャネット・ジャクソンも、そこに住んでいるので、当然いて、再会となった。
 
ジャッキーと兄弟たちは、「ジャクソンズ」という草野球のチームをやっていた、翌日の土曜日近くで試合をやるから見に来ないかと誘われ、翌日、見に行った。
 
マイケルとは立ち話程度だったが、一番の発見が8月の真夏なのに、赤い長袖のサマーセーターを着ていたことが不思議だったので尋ねたことだった。他のメンバーは、Tシャツに短パンのような感じだったが思い切り暑いのに彼だけ長袖セーターだったのだ。
 
すると、マイケルは「僕は直接太陽の陽にあたってはいけないと医者に言われてるんで」とだけ答えた。そのときは、深く考えず、「へえー、そんなもんなんだ」としか思わなかった。だが、それから何年か後に、マイケルがテレビのインタヴューで、皮膚の病気のことを告白しているのを見て、そのエンシノでの彼の答えがピーっとフラッシュバックしたのだ。あとから考えると、あれは本当にすごい情報だったんだな、と思った。
 
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もし、タイムマシーンがあり、僕が一日だけ特定の日に戻れるなら、僕はこの1983年8月5日に戻ってみたい。そして、午前中のセルジオ・メンデスとのインタヴューの別れ際に、「今日の午後、またお会いしますね」なんて言ってみたいところだ。
 
また、その日の僕に未来からアドヴァイスするなら、この日は持っていったカメラの調子が悪く、フィルムの巻き込みにトラブルがあった。高い一眼レフではなかったが、そこそこいいカメラを持っていくことを勧めたい。今なら、スマホですべてが撮れる時代なのだが。
 
マイケルもセルジオもすでに鬼籍に入った。ご冥福をお祈りしたい。



 
■セルジオ・メンデス過去関連記事
 
セルジオ・メンデス・ライヴ
2008年02月15日(金)

 
2004/08/25 (Wed)
Sergio Mendes: Brazilian Night

2004年8月のライヴ評。
 
 
OBITUARY>Mendes, Sergio 2/11/1941 – 9/5/2024, 83 year old
 

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