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グウェン・マクレイ81歳で死去~「ロッキン・チェア」「ファンキー・センセーション」の大ヒット

グウェン・マクレイ81歳で死去~「ロッキン・チェア」「ファンキー・センセーション」の大ヒット
 
【Gwen McCrae Dies At 81】
 
訃報。
 
フロリダをベースに活躍してきた女性R&Bシンガー、グウェン・マクレイ Gwen McCraeが 2025年2月21日までに死去。81歳。長い間闘病生活をしていたという。ただ死因、場所など詳細は現時点では不明。「ソウルトラックス」が最初に報じた→

https://x.gd/LF8hU

 https://soultracks.com/news-gwen-mccrae-dies/

 
2012年6月、イギリス・ツアー中に脳卒中になり、左半身が不随となり、歩行が困難になり、その闘病生活が続いていたのかもしれない。
 
マイアミのTKレコーズから夫のジョージ・マクレイの「ロック・ユア・ベイビー」の大ヒット(1974年)直後「ロッキン・チェア」(1975年)が大ヒット。ソウル界のおしどり夫婦として知られ、デュオ・アルバムも出した。1960年代からフロリダを中心とした南部で活躍、ディープなソウルシンガーとして一世を風靡。

https://x.gd/vedPG 
 https://www.theguardian.com/music/2025/feb/22/the-late-gwen-mccrae-brought-emotion-to-dance-music-like-no-one-else

その後、アトランティックに移籍し、「ファンキー・センセーション」(1981年)のクラブヒットを生み、のちに多数サンプリングされ再評価された。
 
https://x.gd/3SQG4 


 
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評伝。
 
1943年12月21日フロリダ州ペンサコーラ生まれ。
 
1963年に元米軍ネイヴィーのジョージ・マクレイと知り合い結婚。彼も歌えることから、夫婦でデュオとしてやっていくことにした。1967年そのライヴを見た当時まだ14歳だったベティー・ライトが地元音楽業界の有力者で元シンガーのスティーヴ・アレイモに紹介し、アレイモのプロデュースでレコード(主にシングル盤)を彼がヘンリー・ストーンと始めていたアルストン・レコーズから出すことになった。デュオ曲はそれほどヒットせず、グウェンは単独でメジャー、コロンビア・レコーズと契約。ここでもそれほどのヒットは生まれず、再度、アルストンに戻り、レコードを作り続けた。
 
彼女がコロンビア時代に録音した「オールウェイズ・オン・マイ・マインド」が、1972年、シングルのB面に収録される。残念ながらそのときはヒットしなかったが、のちにエルヴィス・プレスリー、ウィリー・ネルソン、さらには、ペット・ショップ・ボーイズなどがカヴァーしヒットとなった。
 
そんなうちに、夫のジョージ・マクレイがスティーヴ・アレイモの上司的存在のヘンリー・ストーンが新しく始めたTKレコーズから1974年「ロック・ユア・ベイビー」を出したところ、これが当時ちょうど大ブームとなり始めていたディスコの波に乗り、大ヒット。さらに、妻のグウェンにも再度チャンスがやってきて、翌年「ロッキン・チェア」を出すとこれも大ヒットとなり、夫婦で大ヒットをだすことになった。
 
George McCrae Rock Your Baby

 
Gwen McCrae Rockin Chair

 
この時期の「90%オブ・ミー・イズ・ユー」や、「オール・ディス・ラヴ・ザット・アイム・ギヴィング」などは、のちにサンプリングされ新しい世代から注目された。
 
ただ夫婦生活は、1976年までに徐々に破綻し、結局、離婚。ただ、それぞれジョージもグウェンもR&Bシンガーとして活躍を続けた。
 
ちょうどこの頃、TKレコーズは、折からのディスコ・ブームにのり、次々とさまざまなレーベルからディスコ、ソウル、R&B、さらには、ブルーズ、ジャズ、ファンクなどもリリース。いくつかは大ヒットを記録。「マイアミ・サウンド」は一大ブームとなる。
 
だが、好事魔多し、1981年には、70年代絶好調だったTKプロダクションが事実上倒産。グウェンはレコード契約がなくなり、ニュージャージーに移住し、アトランティック・レコーズに移籍。アルバム2枚を出す。ここで「ファンキー・センセーション」、「キープ・ザ・ファイアー・バーニング」などのディスコ/クラブヒットが生まれた。
 
Gwen McCrae – Funky Sensation

 
その後、イギリスのレア・グルーヴの流れのなかで再注目されていた。また、マイアミ、TKレコーズの作品が徐々に再発されるようになり、再評価の機運も高まったが、その実力ほど高い評価を得たとはいえない状況だった。
 
しかし、2012年6月、イギリス・ツアー中に脳卒中になり、左半身が不随となり、歩行が困難になってしまった。
 
その後は目立った活動もなく、今回の訃報につながった。
 
 
Gwen McCrae "All This Love That I'm Giving"

 
 
OBITUARY>12/21/1943 – by 2/21/2025, 81 year old
 
 
 
 


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