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〇 ソウル・サーチン・ラウンジ54~江守藹のアラバマ物語(パート2)
〇 ソウル・サーチン・ラウンジ54~江守藹のアラバマ物語(パート2)
(本作・本文は約5000字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、10分から5分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと17分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴きますと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)
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〇 ソウル・サーチン・ラウンジ54~江守藹のアラバマ物語(パート2)
【Emori Ai’s Alabama Story (Part 2)】
2020年7月15日(水)約5か月ぶりに行われた「ソウル・サーチン・ラウンジ」54回、ソウル界、ディスコ界、ブラック・カルチャー界をよく知るイラストレーターであり、現役ダンサー、江守塾・塾長でもある江守藹さんを迎えての回のレポート、そのパート2.
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(前回まで)
江守さんは、エディー・ケンドリックスを招聘したところ、そのツアーにアラバマ出身のデイヴィッド・シーがいた。デイヴィッドは一枚インディでCDを出していたが、そのアルバムを作ることになった。
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1. ウィリー・ミッチェルが協力を承諾
デイヴィッド・シー制作秘話。
江守さん。「ファースト・アルバムを作ることになり、デイヴィッド・シーがウィリー・ミッチェルに相談をして、ウィリーにメンフィスに会いにいくことになる。デイヴィッドがいろいろサポートしてほしい、と伝え、ウィリーがわかった、ということになっていた。で、最終的に、ウィリー・ミッチェルのチーフ・エンジニアであるウィリアム・ブラウンがアルバムのミックスをしてくれることになった」
「ウィリー・ミッチェルってやはり、怖い人なんですか?」
(ウィリー・ミッチェル)
「いやあ、僕はもう大緊張ですよ。(笑) 何にも僕は話せないです。そのときに雑談の中で、『おまえ、オリトって知ってるか』って訊かれて、『知らない』って。『日本人がやってきて、レコードを作ったんだよ』って。『いやあ、僕は知りません』 それで、デイヴィッドのアルバムを録音して、ビクターで出してもらおうというときに、ビクターに行ったときに部長の但馬さんから『エモちゃん、これちょっと聴いてみないか?』って聴かされたのがオリトだったんです。但馬さんが『これ、日本人なんだよ』って言って、それで『あ~、これ、ウィリー・ミッチェルから話を聞いた』ってことになったんですよ」
そのとき聴いたのがオリトのデビュー作となる『ソウル・ジョイント』だった。
(アマゾン)
David Sea – I’m Still In Love With You [Al Greene cover]
https://www.youtube.com/watch?v=x0hsfos1rVs
江守さんは、エディーを招聘し、死去したことで葬儀に出向き、そこで親しくなったデイヴィッドのアルバムを作ることになり、それによって、アラバマ州バーミングハムに通うことになる。それは江守さんにとって「エディーから授けられた使命」だと感じたという。
2. 小さな田舎町のスタジオ
最初のアルバムは、バーミングハムから車で小一時間のところにある小さな街ジャスパーにデイヴィッドの仲間が作ったスタジオで録音することになった。そこで毎日、バーミングハムから通うことになった。
「しかも、僕は(アレンジャーの)デイヴィッド・キャモンを迎えに行って、一緒にジャスパーまで行ってたんですよ。キャモンはコントローラーズのベーシストでサム・ディーズなんかと一緒にレコード出してる人、(デイヴィッド・シーのアルバムで)2曲書いてる、キーボードも弾く。もうひとりベーシストのロバート・メイという人物がいて、彼は7曲書いていて、この二人はアルバムの核となる人。で、この二人がバーミングハムにあるゲットーに住んでるんですよ。アラバマのミュージシャンって、才能あっても、あんまり仕事がないので、貧しいわけ。生活保護じゃないけど、『ミール・クーポン』(食料クーポン=国や州から配給される食糧・食事がもらえたり、レストランなどで使用できる食事券)もってスーパー・マーケットに買いに行ったりしてる。デイヴィッド・キャモンって、アレンジャーとしてもすごいんですよ。そんなすごい人でもそうなんです。彼らは車を持ってない。だから最初はバスを乗り継いでやってきて、いつも遅刻ばっかりしてた。(スタジオのセッションは)12時から始めるっていうのに、だいたい始まるのが3時くらいになってた。それなら、僕が迎えに行くよ、ってことで毎日迎えに行くことになった」
「でも、ゲットーだと車で行っても怖くないですか?」
「だから、家の前に着くまで必ずドアをロックして、家の前に着いたらクラクション鳴らすと、それぞれ出てくる感じ。絶対、車の外に出るな、とは言われてました(笑)」
「まあ、このアルバムに関してはすべて僕が仕切っていたので、スタジオ入ってから、ゴハンの用意とか、スタジオ代とかすべて払ってました。二人は重要なメンバーだから、自分で迎えに行くと。デイヴィッド・シーにも迎えに行ってって言えば、彼も迎えに行ったとは思うけど、デイヴィッド・シーのレコーディングだから彼に迎えに行かせるわけにはいかないよね。(笑) 」
「ただジャスパーのそのスタジオは、貧しいスタジオなので、ときにはナッシュヴィルまで機材を借りに行ったりもした。それはそれで楽しい思い出なんだけどね。ナッシュヴィルなんか2-3時間かな。向こうの人達なんて、車で8時間くらいへっちゃらで運転するんだよ」
「(笑) そうそう、アメリカの人の車をいくらでも乗れる『大丈夫っぷり』ってすごいですよね」
地図)
江守さん。「僕もそんな感覚。だって、エディーのお葬式のとき、デトロイトの連中はみんな車でやってくるんだよ」
「えええっ、北のデトロイトから、南のバーミングハムまで。東京・大阪の比じゃないですよね。1000キロくらいあるんじゃないかな。東京・九州くらいか」
といっていたらDJオサがそのあたりの地図をグーグルで探し出し、距離を見せてくれた。
それによると、デトロイト・バーミングハム間は725マイル(約1160キロ)だそう。
「バーミングハムから東の端、サウスキャロライナ州の海にあたりまで車で行ったことあるし、ニューオーリンズも車で何度も行ってる。ジャクソンヴィルも行った。アトランタなんて、ちょっと行って、ちょっと帰ってくる感じだよ(笑) (日本だったら、東京から)横浜行って、帰ってくる感じ。ナッシュヴィルは、バーミングハムからはまっすぐ上にあがっていくだけ。車は、日本から予約しておくから空港でピックアップ、空港返しですね」
3. レコーディングは2か月
レコーディングは約2か月、現地に滞在して行われた。
「あれ、じゃあ、2か月はデイヴィッドのうちにでも泊ってたんですか?」
「いや、その頃はデイヴィッドはまだ貧しかったら、兄貴のところに居候してた。僕は安いホテルに滞在してました」
「あ、そうなんだ。前回だったか、デイヴィッド豪邸に住んでるっておっしゃってなかったでしたっけ?」
「今はね、今は豪邸に住んでますよ。つまり、デニス・エドワーズのテンプテーションズに入ってから、すごくなったんです。テンプスのメンバーって、年に100本とかライヴがあって、それなりのギャラが出る。やはり、テンプテーションズという名前だといろいろすごいんですよ。2年前、デイヴィッドの家に行って、すごかった。車も3台くらいあって。奥さんはジャガーで、デイヴィッドはBMWだったかな」
「デイヴィッド・シーっていうと、バーミングハムでは『みんなの兄貴分』みたいな存在で、みんなから慕われるんですよ。だから、このアルバムを作る頃(1993年4月)は、テンプスのメンバーではあったけど、みんなにおごったりして出てくお金も多かったんじゃないかな」
ということで、このあたりで曲がぜんぜんかかってないということで、「サーチン・フォー・ラヴ」を聴くことになった。
(曲)youtubeにない。
M01 Searchin For Love – David Sea
この途中のギターがとても印象的なのだが、江守さんはこういうギターが欲しかったそう。
他の曲のギターは、ニューヨークからやってきたジム・サットンがプレイしている。ところが、ジムはこういうギターが何度言っても、できなかった。そこで江守さんたちはこの曲だけ別のギタリストでいくことにする。
「そのジャスパーっていう村に一軒、楽器屋があった。そこに働く男で、サザン・ロックのバンドのギタリストがいたんです。そこで連れてきて、20ドル払うからちょっと弾いてみて、って頼んだ。そうしたら、それがよかった。そのギタリスト、僕は名前忘れちゃったけど、クレジットにビーヤン・カーターって書いてあるね。この彼も白人! 」
「じゃあ、まさにマスル・ショールズのミュージシャンみたいなものですね」
「そうだね、まさに。ロックバンドのギタリストだからね。こっちでは白人・黒人関係ないんだよね。いいやつはいい。」
「他に、アルバムに入ってるルーサー・イングラムのヒットのカヴァー『イフ・ラヴィン・ユー・イズ・ロング~』、これをやってるとき、どうしてもストリングスが欲しいなあ、ってなった。当初は、デイヴィッド・キャモンのキーボードでやろうということになっていた。でもそれでやってみたら、『やっぱり、ここは生のストリングスが欲しいねえ』っていうことになった。でも、ストリングスいれるとなると、高くなる。で、いろいろ考えてアラバマ州立大学の学生さんに頼んだ。先生に100ドルくらい渡して、先生に生徒を集めてもらった」
(ちなみに、CDのクレジットには4人の学生の名前が入っていて、「ユニヴァーシティー・オブ・アラバマ・ストリングス・セクション」となっている)
これは音がある。
David Sea - (If Loving You Is Wrong) I Don't Want To Be Right
https://www.youtube.com/watch?v=b2FZp1kqSmE
譜面に従って何度かリハーサルをして、本番はほとんど一発でできたそうだ。
「このデビュー・アルバムに関しては、2か月いたのでいろいろ工夫したし、予算も限られていたから、いろいろ考えなければならなかった。レコーディングの時点ではどこからリリースされるということも何も決まってなかった。すべて自腹でやってた。自分でいいだしたんだから。これは『エディー・ケンドリックスが自分に与えた使命だ』と思ってやってた。原盤権を持った。で、ビクターは当初は3000枚しか売れないっていうんで頭来ていろいろやって、結局1万3千枚売れた。だから2枚目はもう自分で出すのやだから、ビクターに製作費はだしてもらった」
「デイヴィッドはレコーディングはとても厳しい。何度もやり直すし、あちこちでだめだしもしてた。特に自分のヴォーカルに関してはうるさかったし、バックグラウンド・ヴォーカルについてもうるさかった。ばんばんダメだししてた。完璧主義者だね。もちろん、最終的には僕に訊いてくるけど、いちおうプロデューサーだから。僕が『いいよ』といえば、それで終わるんだけど」
M02 Distant Lover – David Sea
「これは、本当にいい曲で、いい出来だよ。これ、映像が新宿・歌舞伎町のディスコ『ニューヨーク・ニューヨーク』で撮影されたものがあって、これはアメリカでも流れたりしてるんですよ。実は、ブラザー・トムがやるテレビ番組があって、トムがデイヴィッド好きだったんで、日本にいるんだったら、出て、と言われて、出たんだ。これは歌は生で録ってる。カラオケに実際、そこで歌ってる」
David Sea – Distant Lover
https://www.youtube.com/watch?v=uHT429JP7Z4
デイヴィッド・シーは、アラバマ州の音楽ホール・オブ・フェイム(殿堂)入りをしたそうだ。
David Sea – Searchin For Love
(左から吉岡、オサ、江守藹、感染防止用マスク着用)
(この項、つづく)
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