![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/25461971/rectangle_large_type_2_713fdc57a3803c8674042c7531a49488.jpg?width=1200)
●ベティー・ライト66歳で死去~「クリーン・アップ・ウーマン」で世界を席巻した神童
本記事は有料設定ですが、このnoteでも最後まで読めます。読後、お気に召せば「記事を購入する(今回は100円)」、あるいは、「サポートをする」(金額は自由に設定可)なども可能です。クレジットカード払いか、携帯電話支払いがお選びいただけます。アカウントを作らなくても支払い可能。アカウントを作ると、次回以降手続きが簡略化できます。
(本作・本文は約3100字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、6分から3分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと10分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事、音源などを聴きますと、もう少しさらにお時間楽しめます。お楽しみください)
●ベティー・ライト66歳で死去
【Betty Wright Dies At 66 : Queen Of Miami Soul】
訃報。
フロリダ州マイアミをベースに1960年代から活躍してきたシンガー、ソングライター、プロデューサーのベティー・ライトが、2020年5月10日、マイアミの自宅で死去した。66歳だった。癌を患っていたという。数日前に、友人のチャカ・カーンが「彼女に祈りを」とツイートしていたが、復活はならなかった。
所属のSカーヴ・レコーズのスティーヴ・グリーンバーグ社長によれば、子宮内膜癌が昨秋に発見され闘病中だったという。
1971年の大ヒット「クリーン・アップ・ウーマン」で知られるが、これはのちに多くのヒップ・ホップ・アーティストにサンプリングされ親しまれた。日本のシンガー・ソングライター、小沢健二も自身のヒット「ラブリー」で同曲のリフを引用して日本でも知られるようになった。
マイアミをベースに活躍していたが、若いアーティストにとってのメンターとしての存在感を見せていた。最近ではプロデューサーとしてジョス・ストーンのデビュー作にかかわり、彼女のキャリアを開花させた。
日本には一度1991年同じマイアミ在住のグローリア・エステファンのコーラスの一員として、また2012年2月に自身名義初のライヴをビルボードライブで行った。
~~~~
評伝。
ベティー・ライトは、本名ベシー・レジーナ・ノリス [Bessie Regina Norris] 1953年(昭和28年=へび年)12月21日マイアミ生まれ。7人兄弟の末っ子。母ローザ・リー・エイキンズ・ライトは看護婦で、父マッカーサー・ノリスはローザにとって2人目の夫で、芝生などを管理するガーデナーだった。幼少から教会に通い、ベティーはギターで遊び、曲のようなものを書いていたという。末っ子ということで兄弟たちとともに2歳頃から見様見真似でゴスペルを歌っていた。その兄弟姉妹グループは、エコーズ・オブ・ジョイと名乗り、1956年にはレコーディングもしていた。まだベティー・ライトがベティー・ライトになる前、2歳ごろのことだ。母親がギターを弾き、歌っていたので、しゃべる頃から同時に歌い始めていたという。キーをはずさない安定の歌唱はそのあたりの基礎からあったのだろう。
また、いわゆる「ウイッスル・レジスター」(口笛のように高い音を声で出す方法。ミニー・リパートン、マライア・キャリーなどで知られる甲高い声)も、ベティーは昔からできたという。彼女自身は6オクターヴでるという。
■マイアミの神童
その後、ゴスペルから世俗のR&Bを歌いだし、十代から地元のクラブなどで歌い始めた。そんなところを、1966年(12歳)地元のウィリー・クラークらが始めたディープ・レコードと契約、シングル「サンキュー・ベイビー」と「パラライズド」をリリース。
1968年、14歳(日本では中学2年か3年)のときにはウィリー・クラークとやはり地元のミュージシャンであるクラレンス・リードとシングル盤「ガールズ・キャント・ドゥ・ホワット・ザ・ガイズ・キャン・ドゥ」を、マイアミの音楽界のドン、ヘンリー・ストーンの元でリリース。地元を中心にローカルヒットとなり、一躍神童として知られるようになる。ちなみに彼女の所属レーベル、「アルストン」(発音はオルストン)Alston は、プロデューサー、スティーヴ・アレイモとヘンリー・ストーンの名前から取ったもの。
Girls Can't Do What the Guys Do – Betty Wright
https://www.youtube.com/watch?time_continue=4&v=-ICj3Ngyy9M&feature=emb_logo
14歳とは思えないほどの成熟した歌唱で、プロデューサーたちも驚くが数枚のシングルを出したのち、1971年、「クリーン・アップ・ウーマン」のヒットを出す。
Clean Up Woman -Betty Wright (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=TPVk-m1Pr4s
この「クリーン・アップ・ウーマン」は200万枚を売りゴールド・ディスクになり、一挙にその名は全国区にとどろいた。
イントロの超印象的なギター・リフを弾いているのは同じマイアミで活躍中のウィリー・”
リトル・ビーヴァー“・ヘイル。自身名義のアルバム、ヒットも出している。
チャンス・ザ・ラッパーの「フェヴァリット・ソング」、メアリー・J・ブライジの「リアル・ラヴ」などにもサンプリングされている。
その後もコンスタントにシングルを出し、「シュラ―・シュー」などもヒット。
1972年頃、マイアミ・デイド大学に進学。ここで、なんとパーカッションを専攻。パーカッションを学んだことで、歌唱にリズム感がついたという。
当初はゴスペル色の強かったイメージだが、世俗、R&Bに進み、1974年の「トゥナイト・イズ・ザ・ナイト」では両親の家で処女を失うことへの戸惑いなどを歌った。
Tonight Is The Night – Betty Wright
https://www.youtube.com/watch?v=xyvn5idWuhE
その後、このラインを使った「アイ・ウォナ・セックス・ユー・アップ」がヒット。
Color Me Bad – I Wanna Sex You Up
https://www.youtube.com/watch?v=Oxu3pq319r0
さらに、「ノー・タイム・ノー・ゲイン」がヒット。彼女の代表曲に。
Betty Wright - No Pain, (No Gain)
https://www.youtube.com/watch?v=zpGqIJOqAGQ
1975年に同じTKプロダクション所属のハリー・ケイシー、リチャード・フィンチ、ウィリー・クラークらと共作した「ホエア・イズ・ザ・ラヴ」(歌・ベティー・ライト)(ロバータ・フラックや、ブラック・アイド・ピーズらの楽曲とは同名異曲)がグラミー賞「ベスト・R&Bソング」部門を獲得。(発表は1976年2月)
ベティー・ライトは、自らシンガー、ソングライターとして活動する一方、ビジネス的才覚も見せ、地元で活躍していたジョージ&グエン・マクレイをアルストンに迎えたり、若手をプロデュースしたりするようになる。
女性としての自立、意識も強く、そうした運動にも積極的にかかわった。
音楽的にはピーター・ブラウンの「ダンス・ウィズ・ミー」にもバックコーラスで参加、関与していた。
■エピックへ移籍~新人育成
1981年、メジャーのエピック・レコーズに移籍、この時期にはスティーヴィー・ワンダー、リチャード・ディンプルズ・フィールズなどとのコラボ作品も出す。ここでアルバム2枚を出し、その後、1枚インディでのリリースをはさみ、自身のレーベル「ミス.Bレコーズ」を設立。2011年には、ルーツとの共作『ザ・ムーヴィー』をリリースした。
近年では2003年に、イギリスの天才ソウル・シンガーと呼ばれたジョス・ストーンのデビュー作をプロデュースし、大きな注目を集めた。彼女もデビュー作『ソウル・セッションズ』が2003年9月にイギリス、アメリカなどでリリースされるが、デビュー時16歳という若さだった。
Joss Stone - The Soul Session 1
https://www.youtube.com/watch?v=An3qsaW7snM&list=PLTWU83plqZVYzzI_HcpCfjiZEZ1ELTvjv
また、ほかにトム・ジョーンズ、ダイアン・バーチなどの制作にもかかわるようになった。
ダイアン・バーチ・ライヴ・アット・クワトロ
2009年12月11日(金)
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10408399990.html
2011年にザ・ルーツのクエストラヴとともに『ザ・ムーヴィー』というアルバムを共同プロデュースした。
2012年2月、自身名義の初来日ライヴ。
ベティー・ライト自身名義初来日ライヴ
2012年02月29日(水)
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11177929117.html
ライヴ・レポート、セットリスト付き。
ベティー・ライトと「アイ・ウォナ・セックス・ユー・アップ」
2012年03月01日(木)
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11179304376.html
彼女の代表曲「クリーン・アップ・ウーマン」は、アフリカ・バンバータ、SWV、メアリー・J・ブライジ、スブライム、ウィリーD、チャンス・ザ・ラッパーなどにサンプリングされたり、他の曲がビヨンセ、カラー・ミー・バッドの「アイ・ウォナ・セックス・ユー・アップ」などにもサンプリングされていた。
彼女名義のアルバムも20枚を数える。ゲスト出演曲なども多数。
~~~~~
ベティー・ライトには1980年代中ごろ、ニューヨークで行われていた「ニュー・ミュージック・セミナー」で会ったことがある。彼女がパネル・セッションで話をしていて、その後、立ち話をした。大変快活で頭脳明晰、よくしゃべる人という印象を持った。シンガーとしても成功したが、あれだけ業界を俯瞰して見ることができればプロデューサー的な裏方でも十分やっていけるだろうなあと思ったものだ。マイアミのヘンリー・ストーンのTKレコードに関してはやまほど書きたいことはあるが、また別の機会に。ベティー・ライト1983年のアルバム『ライト・バック・アット・ユー』(エピックからの2枚目)のライナーノーツも書いたことがあった。
ご冥福をお祈りいたします。
OBITUARY>Wright, Betty (December 21, 1953 – May 10, 2020, 66 year old)
~~~~~~~~~~
■サポートのお願い
ソウル・サーチン・ブログは2002年6月スタート、2002年10月6日から現在まで毎日一日も休まず更新しています。ソウル関係の情報などを一日最低ひとつ提供しています。
これまで完全無給手弁当で運営してきましたが、昨今のコロナ禍などの状況も踏まえ、広くサポートを募集することにいたしました。
ブログの更新はこれまで通り、すべて無料でごらんいただけます。ただもし記事を読んでサポートしてもよいと思われましたら、次の方法でサポートしていただければ幸いです。ストリート・ライヴの「投げ銭」のようなものです。また、ブログより長文のものをnoteに掲載しています。
noteでの記事購入、サポートのほかに次の方法があります。
Noteトップ
https://note.com/ebs
ソウル・サーチン・ブログ・トップ
https://ameblo.jp/soulsearchin/
サポート方法として実験的に次の方法を試してみます。
方法はふたつあります。送金側には一切手数料はかかりません。金額は100円以上いくらでもかまいません。
1) ペイパル (Paypal) 使用の方法
ペイパル・アカウントをお持ちの方は、ソウル・サーチンのペイパル・アカウントへサポート・寄付が送れます。送金先を、こちらのアドレス、 ebs@st.rim.or.jp にしていただければこちらに届きます。サポートは匿名でもできますし、ペンネーム、もちろんご本名でも可能です。もし受領の確認、あるいは領収書などが必要でしたら上記メールアドレスへお知らせください。PDFなどでお送りします。
2) ペイペイ(PayPay) 使用の方法
ペイペイアカウントをお持ちの方は、こちらのアカウントあてにお送りいただければ幸いです。送金先IDは、 whatsgoingon です。ホワッツ・ゴーイング・オンをワンワードにしたものです。こちらもサポートは匿名でもできますし、ペンネーム、もちろんご本名などでも可能です。もし受領の確認、あるいは領収書などが必要でしたら上記メールアドレスへお知らせください。PDFなどでお送りします。
3) サポートしたいが、ペイペイ、ペイパル、ノートなどでのサポートが難しい場合は、 ebs@st.rim.or.jp までご連絡ください。銀行振込口座をご案内いたします。(ちなみに当方三井住友銀行です。同行同士の場合、手数料が安くなります)
コロナ禍、みなさんとともに生き残りましょう。ソウル・サーチン・ブログへのサポート、ご理解をいただければ幸いです。
ソウル・サーチン・ブログ運営・吉岡正晴
本記事はnoteでも読めます
https://note.com/ebs/n/ncba1bc2d6c5b
ANNOUNCEMENT>Support
ここから先は
¥ 100
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?