2024年12月3日〜5日:期待とは違う、自分への信頼
崩れていく場所
仕事が大詰め。連日あっという間に過ぎていくんだけど、なんか疲れというか、重さのようなものはなくて、ひょいひょいとしてる。
夜の作業中お菓子食べたりしてたから太ったかなと思ったけどそんなこともないので、あ、大丈夫なんだな、と確認できる。いろんなところに、これを超えるとちょっと状況を調整した方がいいって現れがある感じがする。
生活がどこから崩れていくか、『となりの雑談』でもそんな話してたな。私は、食生活、掃除、家の散らかりに現れるな〜。早めに気づいて対処できると、それで随分回復するから本当すごい。
あ、今は特に0時には寝る、ができてるのが結構いいのかも。0時に寝て、6時半くらいに起きる。いくら楽しくても0時過ぎてからの睡眠になったり、そもそも睡眠時間が減っていくとなんか色んなことが雑になってく感じするな。そこが保たれてるのもいいのかもな。
計画は準備運動
3日はまた竹林へ。竹狩りとデザイン仕事があって、どちらからやろうかなあと、朝の支度をしつつパタパタ動きながらなんとなく考えていた。竹だな!と、最初に竹林へ。
『となりの雑談』を聴きながら竹林整備と竹狩りを進め、頭の中では収入にまつわることなどがぷかぷか浮かんでいて、あ、そう言えばその金額を稼ぐために必要な竹の本数計算してなかったな、とiPhoneを片手に計算してみると切る予定の本数では足りなそうなことがわかりもう少し追加で切っておく。それでもまだ足りなそうだったんだけど、なんかもうよくわからんしいいか、となった。竹は足元を切って根本から少しずらしたところに立てたまま竹林に置いておく。十分に水分が抜けた来年3月くらいにとりに行く予定なんだけど、その3月までの間に使う竹として4本くらいを車に乗る長さにカットして積み込んだ。
いろんなこと、未来予測して準備したりしておくんだけど、でもそこに「正確さ」みたいなものを求めようとするとあっという間に足元掬われるんだよな。人によって全然計画なんてしなくても(しないほうが)いい人もいるし、今自分を動かしていけるなら何してもいい。だから計画を立てることは私にとって準備運動みたいなもんだなって感じてる。
自分を動かすための基本ルール
私は計画というか、動くためのマニュアルみたいなものを作っておいてあげると動けることがよくわかった。ほっといたら色んなことあまりに自然に考え過ぎちゃうので、そこに飲まれると行動できなくなるみたい。だから、考える時間と、行動の時間を分ける、というシンプルな対処方法だった。考える私が集中して考えて、考えなくてもわかるような仕組みを用意してあげると、今度は行動の私が思考など入る余地なく夢中で突き進んでいく。行動してる時考えなきゃいけないことにぶち当たったら、一旦止まって考えて、また動く。それだけですごいスムーズになった。
どこに向かっていくのか、方向性を定めてあげて、そこに向かうための道具となるようなものを揃えてあげて、さあ!行きなさい!と送り出すと、驚くほどのスピードで目標に向かって突き進んでいく。淡々とこなしていく作業が本当に楽しいみたい。
でも、友人と話している時、そんなふうに目標を設定すると途端に嫌になる、というようなそんなニュアンスのことを言っているのを聞いて面白いな〜となったんだ。別の友人にもそういう人がいて、何かカタチというか枠組みのようなものを決めてしまうことが合わない、というか。でもその友人たちがそうである、というのはなんだかすごくよく分かる。実際にどういうことなのか理解はできないんだけど、なんか分かるな〜って。でもそんなふうに枠組みを決めずにどうやって行動すんの!?と考えようとすると、もう全然想像もつかなくて気持ち悪くなってくるくらいの分からなさで、人ってこんなに違うんだな、とびっくりする。
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