継ぎ接ぎのひと針
一人で考えている時間がすこし長くなった気がする。
秋のせいだろうか。
最近、必要にせまられてミシンで雑巾を大量に縫った。
直線縫いなので難しいことではない。
しかし、集中力が欠けたりすると直線のはずがくねくね道のような
仕上がりになってしまうこともあったり、面白いくらい自分のコンディションが反映される。
だから、見た目にも綺麗だとわかるくらい真っ直ぐに縫えたときは気持ちもあがる。
ミシンと布と糸に向き合っていると、ふと気づく。
自分が身に着けている服が好きになっていくことに。
☆彡☆彡☆彡
ミシンであれ手縫いであれ、ミリ単位のサイズで糸を布に縫いつけていく。
途方もないその連続でただの布が布ではなくなり、私たちが身に着るものに変身する。
何枚もの布が針と糸によって継ぎ接ぎされたものに、私たちは日々包まれているのだ。
オギャーと産声をあげた1分後には包まれているし、
睡眠時だって、パジャマや布団という名の「布」に包まれている。
ここ数日で、一気に肌寒くなった。
当たり前のように半袖から長袖へと変化し、袖を通す。
みんなが冷気から身を守るために、ふわふわした布やもこもこした布に触れたがり、実際、身に着ける。
そんな風に考えていると、人間そのものにも愛おしさを感じていく。
大袈裟なんかじゃなく、世界は布と布を継ぎ接ぎしてできているんじゃないだうか。
こんなこと思うのも、秋のせいだろうか。
なんだかとても、「布」が愛おしい。
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