微笑み浮かべて水たまりジャンプ
テレビ、いらない...。
今、テレビを凝視してそう思っている。
部屋からテレビがなくなれば、私の生活は、きっとナチュラルでネイチャーでエコライフになるはずだ。
ナチュラル。ネイチャー。エコライフ。
そう。私は、英語表記やカタカナ表記からなるこれら、グッドなライフに憧れているのだ。
グッドなライフを掴もうと、私は四角い画面をにらむ。
しかし、エッセイを書きながら思ってしまった。
無理やりで、必死で強引な私の様子がひしひしと文面から伝わってくる。完全にあほっぽい。
雑誌やSNSでみる憧れの生活からは、必死な様子は皆無である。
私にとって、雑誌などで目にする写真の影響力はとても強い。
たとえば、花瓶にちょこんと挿した野花に、ちょんちょんと人差し指を触れさせている女性の横顔。
「お花さん、おはよう」なんて、今にも声が聞こえてきそうな優しげな表情を浮かべている。
実に眩しい光景だ。
お花さんおはようの生活にテレビがあってはならない。(そもそもこれがメディアによる情報であることはこの際、無視すべし)
必要なものだけを残す。
なんて潔く凛としたおこないだろうか。
これから私は、小鳥のさえずりで目を覚まし、キラリと光る雨の雫を手で弾き、るんたたと長靴でスキップして水たまりをジャンプするのだ。
そんな生活に、テレビの入る余地などない。
さぁさぁさぁー!
テレビを捨てるぞ。
と、テレビのコードを輪ゴムだひとまとめにしようとしたとき、ずっと黙って見ていた旦那が言った。
「オリンピックどうするの?」
その言葉でピタリと私の手は止まり、輪ゴムは、再び引きだしのなかへ戻っていった。