【雑文】麻雀の「知覚動考」を考える

こんにちは、えびてんです。
皆さんお元気ですか。

本日はタイトルについて考えてみます。

知覚動考とは

仏教や禅の言葉で、「知って→覚えて→動いて→考える」という意味です。 いくら知っても、いくら覚えても、動かなければ結果は変わりません。 始める前にあれこれ考えすぎることが多いようです。 「動きながら気付き、考える」という選択肢が今の時代は特に必要です。

じゃあ活用できる知識ってなんですか
という話になりそうですね

なんだかwikiを見ながら攻略する趣が最近は増えてきた気もします
情報ゲームとしてある程度の複雑さがあるので、攻略の指針はあれどそれが結果に結びつかないのも面白さともいえそうですね

知るといっても
・麻雀の知識
・場面による知覚
があるでしょうし
覚えるにしても、知識と経験、という話になるでしょう

動くというのは工夫であり、より勝率を高めるための動きといえるでしょう
そこで悩みが生まれれば考えるでしょうし、また知識もブラッシュアップされ、経験が増え、さらに洗練されていくわけです。

頭でっかちでもよくないでしょうし
覚える努力をしないのもよくない
実践が少なくてもダメ
思考を止めても向上はない

とまあ、こういう風に並べると案外ストイックにやらないといけないんでしょうけども

自分自身として顧みると
昔書いた記事で自分の麻雀の知識はある程度整理されていて
覚えることは多々抜けてはいるんでしょうが、そのあたりも経験知だなと思いますし

まぁ、こうやって書いていると麻雀の楽しさを覚えるのが先なのかそもそも技術的な話が先に来るのかとか考えたりするんですが
そもそも興味も楽しさも喜びもないゲームにハマる道理もないですね

結局これをサイクルとして利用するとして
将棋でいえば駒を動かして詰ませるのが勝利条件と考えると
勝利は最後に点棒を多く持っていた人なので
・点棒を稼ぐためにはどうするか
・点棒を減らさないためにはどうするか
というところは強調されてもいい気がします


改めて「リアルタイムのアウトプット(打牌選択)」を繰り返すゲームとして麻雀を捉えると3~5秒で打たないといけないと考えると前提はある程度シンプルにしたほうがいい気もします
僕は昔は速東風で打っていましたが、知識がつくことによって打牌に時間がかかるようになりました。リソースの割き方も未熟であり、認知すべき情報は削ぎ落としたほうがよいと考えています。(以前も言及した気がしますが)

さて、ここで話をズラして
段位戦の正着でも考えるとします

結局段位効率になるので、リスクをある程度回避する打ち回しが最適解になりやすいような気もしますが、「ラスを取りたくないから消極的に打つ」というのと「技術的に導かれる打牌をすれば着順は自ずと良くなる」は似て非なるもので(似てないか)、ルールや制度によって解答を工夫するのが面白いのかな、という気はします。

・絶対ラス回避できる100のテクニック
より
・覚えれば勝てるようになる100のテクニック
のどちらが魅力的に映るか、なんて思ったりもしました
(そもそも絶対ラス回避は要素的に厳しいですが

さて話を少し戻して、麻雀は攻守だよね、というところに話を落ち着かせて。

数理的アプローチで挑戦するのもいいでしょうし
自分の選択を混ぜて個性も出すのもまた良いんでしょう(悪手はダメだゾ★

コミュニケーションツールとしてど真ん中にいた麻雀ですが、最近は触れる時間も少なくなりました。そしてまた暑い夏が来る・・