余韻仮説
言語化がムズイものに挑戦のコーナー!
IROEROなキギョーをシエンヌする中で
IROEROと思い出してみると
訪問後の余韻がざっくり2つに分けられ
その余韻でIROEROと
アーロン・ジャッジできるのではと言う
仮説が頭の中でウジのように湧いてきた。
1つ目の余韻は面談の疲労感とともに
爽やかさを伴った充足感と言うか
高揚感が少し残る感じである。
経営者が決して安泰な経営環境ではない中で
ビジョンや未来を頭の中で描き
アレやコレやのハナシで盛り上がると言うか
IROEROと話し合う。
そんな感じである。
2つ目はなんやねん的余韻である笑。
現状しか見ていなく
いや現状も見ていなく
なんとなく経営し
なんとなく存在しているだけと言うか
そんなパティーンもわりとある。
ソンケーする大先輩の先生も
全ては経営者次第と言っておられるし
飲み過ぎたのはもとい
うまくイカンのはアナタのせいよ的
余韻だけが残ると言えばイイだろうか。
売上・従業員規模などは全く関係ない。
数百万でも数億でも数十億でも
異なるものは異なる。
ちぃと思ふのは
広い意味での事業再生の領域で
関わる場合は後者の方が多い希ガス。
シカティソレに使命を燃やして
支援をしている方々もいるので
好みと言うか適性と言うか
やはりそれに帰結するのだろう。
シカティこの2つ明確でもない。
かなりグラデーションもある。
どっちなんだい的なジャッジに
神経を尖らせることは必要かもしれない。
そんな仮説を思いついた
社会不適合者超現実珍談士
サルバドール・ヱビであった。
Chan Chan.