最悪の将軍・綱吉が発布したのは「生類憐みの令」だけじゃなかった!
最悪の将軍・綱吉が発布したのは「生類憐みの令」だけじゃなかった!
「生類憐みの令」を出して、「犬公方」とか「お犬様」などと言われた
徳川綱吉は、犬だけじゃなくて、自分の娘のことも深く溺愛していたの。
その娘の名前は鶴姫というのですが、綱吉の溺愛っぷりはすさまじく、
自分の娘の諱を他人に使われないよう1688年には、庶民に対して
「鶴」という漢字を用いることを禁止した鶴字法度というお触れを出しています。
このために、井原西鶴は井原西鵬と改名したというエピソードまであるの。
今は名前に使って良い字が増えましたが、最悪の将軍「綱吉」が発布したのは「生類憐みの令」だけじゃなかった。
「鶴字法度」っていうのまで作った。
朝井まかての小説『最悪の将軍』を読んだのですが、綱吉ってまともなの。
まともすぎて、真面目過ぎ。
勉強好きで、征夷大将軍には向いてなかっただけなの。
まぁ、ガチャ親ともいえるけど、生母の於玉(のち桂昌院)が、京都の出身で天真爛漫過ぎで、ワガママが過ぎた!「ごり押しババァ」というカンジ。小説の中での、桂昌院のごり押し感が私の母と重なって・・・痛かったわぇぇぇぇ。京言葉で屈託なく、天真爛漫なんだけど、ともかく「我」が強いの!
綱吉は、将軍なんて狙ってなかったし、侍の野蛮さが嫌いだった。何かというと切腹だの、追い腹だの命を無駄にして「武士道」もくそもあるか!と思っていた。勉強好きだし、儒学に傾倒。1682年に孝子表彰制度を設けるなど儒学精神を政に反映させることに意欲を燃やし過ぎた!
やりすぎ君だったのね!
インテリで、朝廷に近い血筋から鷹司信子を正妻としていただいたものだから、侍の世は「太平」になったんだから、上品にしなきゃっていうのもあった。極端に武力を忌み嫌って、「サムライ」なんていまさら要らない、野蛮で汚らしいという思い込みが強すぎたようです。
私は小説を読んで、綱吉の良いところもたくさん知ったので嫌いじゃない。
だけど、何でも極端に「やりすぎ」で脱力できないの。四六時中まじめに
頑張りすぎちゃって、運氣を逃した。ともかく「正論」をぶっ放すものだから、みんな黙っちゃうのよ。
しかも、綱吉は超インテリだったからこそ、名前の恐ろしさ、言霊の恐ろしさを人一倍知ってた・・・ムスメの幸せを願うただの親バカ!
っていう一言に尽きるわ!
「過ぎたるは、及ばざるがごとし」
名前って面白いことがいっぱいですよね?