介護が始まる前に知ってたら「うつ」にならなかったかも?
介護が始まる前に知ってたら「うつ」にならなかったかも?
要介護度と介護に使う時間の関係性、って人生で見ると睡眠時間とか仕事時間などと比較するとケッコウ長いんですね。
1日24時間のうち、睡眠8時間・散歩1時間・仕事6時間・家事2時間で自分のことに使える時間は17時間。残りの7時間は計算上は使えるはず、なのですが、私は1日3時間ぐらいと決めています。
近距離で、母とは別居ですから、正味は2時間ちょっと。でも楽しい事の3時間と、気が重い事の3時間では疲れ方が違うのは当たり前。
こんな風に、アバウトの時間で区切っているのは、心の中でだけなんですが、これを言うと同居で「家」に縛られている方からは、顰蹙を買いますよね。
わかっています。それも。介護の仕方は様々なので、私はケアマネさんと相談して、最終的には施設での暮らしを「母本人に承諾」してもらうことを願っているの。
我が家で「同居」は、「母のパーソナリティ」のこともあり、最初から無理なんだとわかっています。母を迎え入れたら、我が家が「家族空中分解」してしまうのは、目に見えて明らかだから。
「社交的」な母は今のところ、デイサービスや訪問介護を楽しみしているの。ただ超が付く潔癖症なので、お風呂とかは入らないで入らないで、ランチと趣味の絵手紙をしてくる。
私の勝手ですが、「老々介護」から「認認介護」になるかもしれないので、私の次の世代には「介護」と「お墓」は持ち越したくない。それだけは決めています。「鬼のような娘」と母に罵られても、私は自分の娘たちを守りたいんです。
介護の不安でウツになった時に「過去の振り返り」を徹底的にカウンセリングなどでしました。その時に、私が過度の両親に依存症だったことが露出してきました。それまでは、「問題」だと思っていなかったことが、一般的には「親子が互いに依存しあっている」カプセル親子だったんです。
両親の過干渉に娘たちは受験から、行く学校まで口出しされ、母は二女に激怒。その理由は「二女は制服がダサい女子校に行く、お姉ちゃんに合わせないなら、合格祝いは上げない」と言われました。笑い話で済ませていい話ではなかったと今はわかりますが、当時は「母の事だから」とそのままにしてしまったんです。父は、そのことにも沈黙。母の機嫌が悪くなるのがイヤだったんですね。
そういう父は、二女を朝から電車で一緒に行くという「過保護の暇つぶし」。二女が高校生になると、入れ替わりに、免許を取った長女が運転通学になったの。父は運転が危ないと、「毎日孫娘のあとを、車で追跡」という「監視」をしだしたの。おじいちゃんにストーキングされた娘、大学時代「じじ付お嬢」だったわけ。今思い出しても、娘たちにも苦労かけたと思っています。
ところが、両親は「善意」で「心配」だからしている。「あなたのために」と思い込んでいるため、どうやっても、どう伝えても無駄でした。
ハリネズミ症候群というのがありますよね?近づきすぎて互いに傷つけあう。孫に対しても「独占欲」と「支配欲」が強く、孫の友達のことまで口出しをして、娘たちの成績表を一番じっくり見てたのは父だったんです。
ともかく両親が孫にへばりついて、服装にも口出しする。当時ポケベルを持たせたときには「ムスメに援助交際させるのか!」と両親に怒鳴り散らされ・・・何時の電車に乗るかわかるから、お迎えのため、と言っても聞く耳持たず。娘3人、これじゃ「籠の鳥」、学校帰りにパフェも食べれない・・・・泣く泣く、可愛い娘たちを、通算7年以上も、外に出しました。両親が追っかけられないところまで・・・・
実家の価値観ってスゴイ圧力なんですよね。父は70歳まで現役バリバリでしたし、83歳ぐらいで、ゴルフをやめるまでナイス・シルバーじいじ、だったの。娘たちも父のことは尊敬していて、しつこくされなければ、ものわかりのいい「じいじ」。尊敬していました。
それが崩れてきたのは、父が退職して家にいるようになると、自由を奪われた母が「発狂ヒステリー」を起こすようになってから。ともかく父は「無抵抗」悪くいえば、「ママが暴れて困るから、何とかしてくれ」とジャンジャン電話をしてくるようになったの。
この当時は、年は取ってるけど元気な老夫婦だった。いつからか、父が中学生の息子のようになっていったのは?運転しなくなって、モーニングに連れて行くようになってからかな?
耳が遠くなって、それに気づいたときは「聞こえてる!」と大声出したりして、父親像が崩れはじめてからかな?
そういう、介護になってないけれど、そのうち「介護になる」ということが見え始めて、私の方が心のバランス崩しちゃって「うつ」になっちゃたのね。弱虫なんだなぁ、と情けない気持ちでいっぱい。
だって、世の中にはもっともっと切実に大変な介護をしている方は大勢いらっしゃる。テレビで、68歳の奥様が認知症になって、それをご主人が24時間献身的に世話をしているドキュメンタリーや、闘病ドキュメンタリーを見ると「なんて、私は甘ったれで情けないんだ」「何も起きてないのに、グズグズめそめそしてる私はダメなんだ」と「ダメダメ星人」路線に自ら突入しちゃったんですよね。
細川貂々さん、が介護問題に直面した本、その当時はなかったけれど、心の準備ができていれば、多少は違ったやり方もできたかもしれない。《介護は第二の親子関係=親が子供になるころに》を読んでいたかったな!
少なくとも「うつ」でドヨヨンドヨヨンして、娘たちに心配かけずに済んだかもしれない。いまさら言ってもセンないことですが、3人とも私を置き去りにするようで、なかなか結婚には踏み切れなかったのかもしれないな、と今は思えるんです。
家族がひとり「うつ」になったら、それも母親がうつになったら、子供は幸せになれません。無意識に「私だけ、幸せになれないわ」ってに思いますもんね。だから、今の私は「世界一、ハッピーなバーバでいる」ことが最優先事項なの。(笑)
長々と、家族の暗黒史を書いてしまいました!