「えびす様」って、アマテラスの弟で、人間に拾われ「戎三郎」として育つ?
「えびす様」ってアマテラスの弟で、人間に拾われ「戎三郎」として育つ?
引き続き、えびす様について。
えびす様は、ヒルコ様ともいう。
蛭子様、ともかく骨がない神様として生まれたので、3歳ぐらいまでは、
蛭みたいに伸びたり縮んだりしていたのでしょうか?
ゴムゴムの実を食べたルフィーみたいに、ビヨーンと体も伸ばせたのかしら?
などと滅相も無い事を想像するのですが、
ヒルコからえびす様へと進化する過程も知りたいですよね?
神名のヒルコは、「骨のない水蛭(ひる)のような子」が一般的。
一説には、大日孁貴(おおひるめのむち)、太陽神の巫女に対応する語とも
考えられています。
つまりヒルメに対応するヒルコは、太陽神と非常にかかわりの深い神と考えることができるのです。
『日本書紀』では、第3子として書かれているの。
神様はケッコウ…アバウト?
蛭児(ひるこ)は、日の神(天照大御神・アマテラス)、月の神(月読命・ツクヨミ)に続いて誕生し、ついで素盞嗚尊(スサノオ)が生まれたとなっています。
アマテラスの弟として生れてる!
つまり、三貴子である「天照大御神」「月読命」「須佐之男命」に肩を並べる重要な神と位置づけられていても良いはず?
なのに、捨て子に・・・・
『源平盛衰記』では、葦の船で流された水蛭子は、摂津国の西宮に流れ着き、漁師の戎三郎に拾われます。
そして以降は、戎三郎=夷三郎という神となりました。
この間の経緯の説明は無し・・・・
ここでは、福をもたらす客人神(まろうどがみ)として扱われているの。
「戒」戒め慎む。注意を与える。諭す。用心する。不測の事態に備える。
「夷」蝦夷・蝦夷に使われ一般に、異民族。未開の民族。えびす
『神道集』の物語では、葦の船が流されて龍宮にたどりつき、
しばらくそこにとどまったのち、この国へ帰り、住吉の社で盛大な祭りを行ったともいわれています。
こちらは
留学帰りのプリンスのような扱いね。
水蛭子は捨てられたからこそ、戎神=恵比寿神=恵比須神に昇華したともいえるの。
恵比寿様は、大きな鯛を抱えたふくよかな容姿から、商売繁盛、家運隆盛の福神として、絶大なる人気がありますよね。
そして
恵比寿さまは、右手に釣竿、左手に鯛を抱えて「ニコニコ顔」が一般的、
でもそこには「網で大量」に魚を捕り過ぎないという戒め、お座りになっている姿からは、おみ足が不自由でも笑顔でいるという戒めをも表しているの。
どんな荒波があっても、乗り越えたからこそ「ニコニコ」とできる立派な神様!
私は屋号が「ゑびす」なので、特に大好きな神様です!
えびすは日本の神で、現在では七福神の一員として、日本古来の唯一の神様、その他の神様はインドとか中国由来の福の神様なのよね。
古くから漁業の神でもあり、後に留守神、さらには商いの神ともされた。
夷、
戎、
胡、
蛭子、
蝦夷、
恵比須、
恵比寿、
恵美須、
恵美寿
などとも表記し、えびっさん、えべっさん、おべっさん、などとも呼称されています。
ご神徳は豊漁守護・海上安全・商売繁盛
水蛭子神(ヒルコノカミ)はヒルコとして
・水蛭子
・蛭子神
・蛭子命と
記されるとともに、
・戎大神
・恵比寿
・恵比須
・西宮大神など
恵比寿様として呼ばれることの方が、多いようです。
漁師の戎三郎に拾われて漁師になったから、
そこから「戎」だけ残して、「三郎」は神様らしくないから省略したのか、神様に人間の名前なんか失礼だから、省いたのか?
『神様事典』にも、そこは詳しく書いていないの。
だんだんに「信仰されるようになって変化していった」んだと思っています。
1人の神様の名前の書き方・読み方にはバリエーションが沢山ありますね!
『神様事典』をみていると、八百万どころじゃないほど大勢の神様がいらっしゃるの。
その神々がいくつもの名前を持っているの。
そこが
「文字表記」のなぞ解きの「醍醐味」でもあるんです!
だから
「あなたの中に住んでいるお金の神様」が絶対にいるの!
近々、あなたの中に住んでいる、神様ソムリエとして「神様探し」お手伝いしますね!