子供の名前は「5」ばっかり!もちろんワケあり!
景行天皇の子供の名前は「5」ばっかり!
漢字の「五」は「語」「御」「後」「護」「互」
さて、知略で大和朝廷の統一めざした景行天皇の子供の名前。
とにかく「五」「十」「百」と5の倍数ばかり!
数字の「五」が関係する物事は、数多く存在していているの。地上を構成している土、木、水、火、金を五行と呼ばれています。また人間の心や身体のに関する「名前」も、五感や五臓六府など、「五」に関連付けられたものが、たくさんあります。
そのうえ、「五穀豊穣」など、5種の穀物が豊に実ることを指すときにも使われ、中国の陰陽五行説という思想の「名前」にもある。5大陸、という言葉も、現在の地球に存在する大きな大陸の数のことを表す名詞です。
「五」は世の中を構成する大事な物事の「名前」によく使われている数字なんですね。
そういう観点から見ると、「五」だらけの景行天皇の子供たちの名前は、「宇宙すべて」であり、「豊穣」であり「魔除け」でもある、パーフェクトネーム。
「五」の付く名前は80人中7人だから10%ぐらい?
5.五百城入彦皇子(いおきいりびこのみこ)
10.五百城入姫皇女(いおきいりびめのひめみこ)
12.五十狭城入彦皇子(いさきいりびこのみこ
16.五百野皇女(いおののひめみこ)伊勢斎宮
妃:五十河媛(いかわひめ)
妃:五十琴姫命(いごとひめのみこと)
27.五十功彦命(いごとひこのみこと) - 伊勢刑部君
でも、なぜ、これほど「五」にこだわったのか?
五十=イソ=伊勢
五十鈴=伊勢の五十鈴川
景行天皇の統一は、次の天皇にも、全国に散らばっている皇子や皇女にもミッションとして、受け継がれています。
応神天皇:応神天皇は弓術の達人とされており、武の神や出世開運の神
景行天皇の皇子で、五百城入彦皇子(いおきいりびこのみこ)は、父の2代後の応神天皇によって、三河の抵抗勢力の征伐に派遣され、三河の国造り「長谷部」氏の先祖となったらしいです。
また、夫を殺された、渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと)の兄弟から「五」の付く名前が続出しています。
私の妄想では、弟を殺し、歯向かう奴は皆殺し、どこでも子供をバンバン作り、血縁を固めていった景行天皇でも、それなりに祟りは恐れたでしょう。ですから、自分の子供たちがせっかく統一に向かっているところを殺されたりしないように「縁起」も担いだ「神レベル」の名前を付けたと思われます。
五だけでは足りないほどで、10倍の五十=五重、100倍の五百=五の百倍、も使われていますね!50だけでは足りず、プラスして神様の鈴の音で「邪気」諸々も祓いたいというので、「五十鈴」にもあやかっているようです。
多くの皇子や皇女たちを、伊勢の斎宮などの要職につけているのも、そのためです。
五十鈴=「五十鈴」は天之宇受売命(あめのうずめのみこと)が舞を舞った際、手に持っていた矛に取り付けられていたものと伝えられています。
正三角形につながる3つの鈴は
・「いくむすび」
・「たるむすび」
・「たまめむすび」
という神道での魂の進化する重要な状態をも表していて、この鈴の音を聞くと、心身は深く清められるといわれています。
五十鈴の語源は、天照大神が天の岩戸でお隠れになった時に、天鈿女命(アメノウズメノミコト)が、岩戸の前で舞を踊られた時に使われた「神代鈴」のこと。
鈴には、聖なるものという意味があり、「い」には沢山という意味があるので、沢山の聖なるものという意味ですね。場所によっては、伊鈴と表現したりするところもある様です。
正確な由来はわかりませんが、今も伊勢神宮では御手洗場を五十鈴川にもうけ、身を清めてから参拝する様に案内されています。
余談ですが、いすゞ自動車は、五十鈴川にちなんで社名を制定されたそうです。
五十、五百、漢字の「五」は「語」「御」「後」「護」「互」、征服や成敗をすればするほど、恨みつらみは重なっていきます。言霊とコトタマの両方の力を天皇の特権として景行天皇は縦横無尽に駆使したと考えました!
お名前に「5」のある方!神レベルの強運の持ち主ですよ!