ウッソー!伽羅の国の神が「日本の神」となったって!
ウッソー!伽羅の国の神様が「日本の神」となったって!
辛嶋氏の加羅の国=宇佐に
ヤマト王権(蘇我馬子)の意を受けた
大神比義が派遣され、
渡来の神である
辛国息長大姫大目命を「ヤハタの神」
=香春八幡神へと強制変換して
日本の神様にすり替えた。
ここまでは前回の話。
『八幡宇佐宮御託宣集』に、
辛国ノ城ニ、始メテ八流ノ幡ヲ天降シテ、
吾ハ日本ノ神トナレリ
とある。
話は飛びますが、ここで、空海の「空」
「空」をいままで「ソラ」と「クウ」としか
見てこなかった私ですが・・・
「空」はカラですよね?
名前は氏名=使命ですとなると、
「海」を渡ってきた「空=カラ」プラス
佐伯氏の神様と阿刀氏の神様
それからもっと驚愕の「使命」に
行きつくことが予想されます・・・
そして、大神比義の大神氏も辛嶋氏と
同じルーツの渡来系氏族だといわれています。
以後ヤマト王権のウを受けた大神氏は、
豊後大神氏として
宇佐地域に居住するようになりました。
辛嶋氏も香春の地から
宇佐の地(豊後)に移っていたんです。
この「ヤハタの神」=香春八幡神が
何度かの移座を経て神亀2年(725年)、
現在の宇佐小倉=椋山に
辛嶋勝波豆米の託宣によって遷座される。
※『日本書紀』巻
第27天智天皇10年11月(671年)10日条
によれば、韓嶋勝裟婆ら4人が、
唐よりやって来て、唐・新羅が日本を
攻めようと準備をしていることを伝えている
Wikipedia
養老4年(720年)の隼人の反乱の後に
豊前国の住民が大隅国へと移住させられているが、
大隅国には
五十猛命を祀る韓国宇豆峰神社があります。
ここには、この地の国造
宇佐氏によって信仰されていた
比売神三座が馬城峯=御許山から移されていました。
その社に応神天皇の霊を付与された
「ヤハタの神」が主祭神として
遷座されたということになります。
これが、宇佐八幡のはじまり。
ここに「秦王国」に辛嶋氏によって奉じられた
渡来の神が、辛嶋氏と大神氏によって
日本の国神(くにがみ)「八幡神」と
なったという経緯がありました。
このことは同時に辛嶋氏つまり
秦氏の日本同化策だったといえます。
事実、この半世紀前の「白村江の戦」
に辛嶋氏は出兵させられていました。
「ヤハタ」の意味には史家の間に諸説あり、
「ヤ」(八)は「弥」で、数が多いこと、
幾重にも重なる様のこと。
「ハタ」(幡)は「幟」「旗」で、
神々が降臨する依り代。
つまり「ヤハタ」とは
「数多くの幡が幾重にも重なって風になびく」
の意味で、祭祀の際に降臨する
神の依り代として何本も立てる幡=旗
と考られます。
この「旗=ハタ」をたてるしきたりは
韓国で祭祀の時に数多くの旗を
並べられることと符合しています。
また「聖書の暗号」などでは
秦氏ーイスラエル説―ペルシャ説など
いろいろな考証を並べて
「ヤハタ」=「ヤハウェ」という
「音」として解読する諸説もみられます。
だんだん、書くのが怖くなってきました。
※伽耶(かや、伽倻または加耶とも)、
加羅(から)、または加羅諸国は、
1世紀から6世紀中頃にかけて
朝鮮半島の中南部において、
洛東江流域を中心として散在していた
小国々を指す。広義の任那に含まれるが
狭義の任那とは位置が異なる。