「ワタシ、金持ちになった」と予祝してはイケナイ!
「ワタシ、金持ちになった」と予祝してはイケナイ!
金運財布はもとより、宝くじを入れる袱紗まで人気商品のようで、
ついついキラキラ好きなので見てしまいます。
縁起物というのは魅力ありますしね!
神頼みのためのグッズですが、そこに気になるコピーがあったので一言よろしいかしら?
「名前と当選した予祝を書いて、宝くじと一緒に入れておきましょう!」
そのあとで、
「私も当たった!1等の前番号で1千万!」とか、「借り入れができない時に当たって一家心中をまぬがれました!」なんていう、証拠写真がいっぱい!
私としては、チョット待ってくださいな!
「お祭り」という神事は殆どが予祝です。
私は予祝っていうのは神事では素晴らしい、けれども、「予祝」まで自分事にできるとは思っていません。
《宝くじ入れ》に宝くじと、一緒に「○○○○、年末ジャンボでお金持ちになった」と書いた紙を入れるって・・・あほか!
今「お金持ちじゃないから」書くのですから、コレって最悪のケースですよね!「引き寄せ」の逃げ口上は、意識すれば意識するほど「お金」は逃げる。
何のために使うのか?を意識しないから、お金を使ったいい気分を知らないから引き寄せできないんだよ、って説明されていることが多いです。
だからたいてい、お金持ちになりたい系の本には、リッチな食事風景や車や住まいをイメージすると 書かれいますね。
つまり「なりたい自分」とのギャップを、イメージで 埋めていこうという
ハウトゥーですよね?
でも経験も体験もしていない、知らないことをシズル感をもって
イメージできますか?
例えば婦人画報やプレシャスに載っているような一流料亭の雰囲気、対応、お料理が出てくるまでの演出、味、器、ご一緒している方のファッション、
そこでされる会話、など微に入り細に入りイメージするには、本物の記憶から引き出すしかないということを理解しているかどうか。
スゴク感じ悪いことを書いていること認めます。
でも宝くじ当たった方のその後という話はよく耳にしますでしょう?
私の大好きな、宮部みゆきの小説でも「富くじ(宝くじ)に当たって利用されたり神様扱いされて有頂天からどん底に落ちる」人が出てきます。
「富くじに当たる覚悟がない奴が買うな」という教訓ですが、余るほどのお金も気持ちの良い使い方、流し方を知らなければ身を亡ぼすのです。
「お金」と意識してイメージするのは「紙」じゃありませんか?
少なくとも私そうなの。
そして、音としては、神=紙=髪=守は全部カミ。
神社であげていただく祝詞や御祈祷を思い出して!
必ずどこの誰がどういう祈願をしているかを、そのばで奉書紙に書いてから
御祈祷してくださいますよね?
神様=紙様はご存じなんですよ。
書いた時点で文字にエネルギーが発生するから。文字がエネルギーを持つ。
名前を「書く」ことの怖さも、知っておかなければなりませんね。
「宝くじ」の予祝で、名前を書いたら「私は欲張りです、欲を叶えてください」っていう意味でしょう?
神様はいうまでもなく「欲張り」はお嫌いなんです。
そういうことを「紙に書く」と神様からみたら、「へぇぇ、金だけ?欲張りなんだな」。それより、子供にプレゼント買って、子供喜ばせたい△△っていうのがいるから、臨時収入が入るように、ご縁繋ぎしておくか!ってなっちゃうんですよ。
誰かを喜ばせたいことが具体的で、神様は特に子供が好きだから、自然とそういうことになっちゃう。だから、金運だけは予祝はダメ。
神様には「感謝」が先であって、「お願い」は後なの。
お金の神様と神社では、岐阜の「金神社」。金神社には、「御礼参り」のお財布供養もある!金運に恵まれたことへの、感謝のお財布の供養!夢だわぁぁぁ!
ただ一つ、「禁じ手」がある・・・
どうしても書きたいなら・・・「○○、宝くじが当選してありがとうございます。換金したらすぐに、お礼に半分持っていきます」
って、書いて約束しておけば、神様も「そうか!それなら○○に当ててやろう」と思われるかもしれません。(笑)
ほら、怖くなったでしょ?
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