96歳の父の大往生!「自分が死んじゃったこと知らないよ!」
96歳の父の大往生!「自分が死んじゃったこと知らないよ!」
5月2日に父が永眠し、3日通夜、4日葬儀と初七日まで、無事に済ませることができ、心から、感謝しています。
いつも両親二人合わせて180歳、と言っていましたが、
父は96歳で老衰で亡くなりました。普通にお昼ご飯を食べて
お昼寝をして、2時半の水分補給のジュースの時間にナースさんが呼吸停止に気づいたとのこと。
心臓マッサージなど手を尽くしてくださっても、戻ってこれなかったそうです。
そのころ
私はといえば、連休を娘たちが東京の末っ子の家で過ごす予定でしたので、娘と孫を駅まで送ったばかり・・・というマサカのタイミングで・・・
病院についたら、父はお口開けて寝てるときそのままで・・・
「今日、昼にお母さま、お父様にフルーツの差し入れ持ってらして、その時は、お元気でお昼ご飯を食堂で食べていたんです。
水分補給に行ったときに、呼吸してないことに、こちらが驚いたんですが、
お父様、ご自分が死んだことも知らないでしょう。本当に安らかな大往生。」と簡単にするとそういう説明。
ただ母は2時間前には病院に行っていたので、母に説明しても・・・母は、頭ではわかっていても、生きている時に会えなかったということが辛すぎました。
まぁ、案の定
「なぜ、さっき会わせてくれなかったの!100まで生きさせてくれるって
先生は約束してくれたのに!約束、破ったわね!ウソツキ!」と
母は取り乱しましたわ。
高齢でしたので、いつかこの日が来るとは思っていましたが・・・
母は大悲劇・愁嘆場の主役。
芸術劇場の大ホールでも、隅々まで響き渡るような大声でドラマティックに
「○○って呼んで!呼んでくれなきゃ、帰らないから!」と
母の名前を、呼べるはずのない父に言えという。
名前を呼んで!というのは、すごい事だな、とあらためて深く、強く思った次第です。
母は父に覆いかぶさり、絡みついて離れない。父のエンバーミングして頂いた顔が変形するほど、両手でつかみ、頬ずりして、濃厚接触。見ている方が恥ずかしい、目を覆いたくなるような生々しさに、声を失う。
大音声で
「寝てるだけでしょ!起きて!」「名前読んでよ!もう、起きて!」
と絶叫し続けるのを、お葬儀屋さんが、
「明日の朝には、もっと男前にして、棺に入れて惚れ直しちゃうように
するからね。」
と上手に説得してくださって、やっとこさっとこ引き離し、当日は連れ帰ることができました。
私の方は、母に終始圧倒され、途方に暮れてしまうばかり。
まさか、今日とは!と呆然としつつ、新幹線に乗ってる
ムスメにLINEして・・・
「エーッ!」ということで、新幹線に張り切って乗って旅行満喫するはずだった娘と孫は、帰ってくることに・・・
次の朝、1人は仕事があり、通夜に間に合うよう新幹線に乗るからね。と。
2人は孫たち連れて、朝5時に出発し、車で東名高速をぶっ飛ばし、岡崎で玉突き事故18台の大渋滞に巻き込まれつつも、3時に到着。
静岡の叔母や従姉の家族も全員で来てくれて、
全員が、ギリギリセーフでお通夜に間に合ったのでした。
しかし、エンバーミングって、スゴイ技術だなぁ、と私はつくづく感心。
20歳ぐらい若返って、スマイル顔した父を見て驚きました!
父がきれいに若返ったので、父に縋り付き絶叫する母が、年よりも10歳以上老けて見えました。まるで日本昔話の「山姥」に見えて、哀れでたまらなく
なったのでした。
父は入院中は病院の皆様に良くしていただき
「毎日、大奥にいるようだよ」といっていたほど幸せでした。
その反対に母の方は、コロナで面会もできず、差し入れだけを届けるという
空しい時間が長すぎて、つらかったと思います。
葬儀が終わるまで72時間余り
「名前を呼んで!」
を何百回も聞いて、本当に名前=その人だとつくづく思いました。
骨拾いの時は
「あなた、すぐに迎えに来て!一人にしないで~っ」
「燃したりしないで~、ヒドイ!」
「明日迎えに来て~っ!」と母は言っていましたが、
父のように大往生できるといいなぁ、と思いました。
簡単には死ねないという現実がありますが、今後もナントカなるさ、と
思う次第であります。
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