My August Journalism
「8月ジャーナリズム」というらしいが毎年8月になるとメディアがこぞって戦争と平和についての報道を行う。アメリカに住んでいるとそういう感じはあまりしないが日本ではこれから終戦記念日に向けて様々な特集番組などが組まれていくのだろう。
アメリカでは8月ジャーナリズムをあまり感じないと言ったが、この時期、アメリカ国内のニュースで「日系人の強制収容」はほぼ毎年取り上げられる。この話は何故か日本のメディアで取り上げられているところを見たことが無いが戦時中に日系アメリカ人(およびカナダ人)がルーツを日本に持つという理由だけで強制的にinlandの収容所に隔離されたという史実だ。実は、今は亡き私の祖父母と父もカナダでこれに巻き込まれており、収容所での生活や当時の祖父の想いなどは子供の頃からよく話を聞かされていた。アメリカではこれは国家ぐるみの人種差別・民族迫害でありアメリカ史上の「恥」と捉え、1988年に当時のレーガン政権が正式に謝罪。そしてそれ以降もこうしてニュースにとりあげて政治家が謝罪の言葉を口にする。もちろん政治上のパフォーマンスという側面がある事は否めないし、Majorityのアメリカ人が1年に1度でも過去の不幸に思いをはせる事があるかというと、それもない。しかしながら、こうして過去の過ちを繰り返し報道することで再発防止を試みる姿勢があることは救いだ。
最近は報道されるようになったが、「日本人のシベリア抑留」のニュースも長いこと日本ではあまり報道されてこなかった。こちらは戦争終結後にソ連が朝鮮半島や樺太で足止めを食っていた日本人をソ連国内に連れ去り強制労働をさせたというものだ。第二次世界大戦はすでに終結しており、日本軍も武装解除していた状態であったところに日ソ中立条約を破って突如参戦(戦争は終結していたのだから「参戦」ではなく「侵略」又は「拉致」だろう?)し不当に北方領土を奪取しただけでなく、多くの罪のない民間人を奴隷のように扱った挙句に殺害している。こちらも同様に1993年、当時のエリツィン大統領が謝罪はしているが、国家としての旧ソ連の国々、とりわけロシアがこの事実を恥じないまでも不幸な出来事であったと認識し再発防止に努めているようには見えない。
私の時代に日本で教育を受けていれば皆8月に過去の戦争を反省させられた経験があるだろう。自分たちが生まれる20年以上も前の戦争を加害者として反省させられることに当時違和感を覚えたものだが、それ以上に自分たちが被害者になる可能性がある、という部分で想像力が欠落していた事を大人になってから知る。それも無差別に空から落ちてくる爆弾で被害にあうのではなく、「日本人」というアイデンティティが災いして被害にあう可能性。あの敗戦で完全に牙を抜かれた日本という国家が再び他国や他民族に対して直接的な加害者となる可能性は極めて低いが、その逆は今も当時とリスクは変わらない。