名橋・旭橋秘話④2本の仮橋 1 旭橋を語る会 2024年11月18日 15:29 本格的な橋を架設する前に仮の橋を架設することがあります。記録によると旭橋の仮橋は、開村直後の「名もなき土橋」と、現旭橋架設の際に仮橋が架けられたとあります。旭橋工事概況には「昭和4年8月、旭橋の仮橋ポニートラス・・・の木橋を架設・・・」と、第七師団工兵隊により架設されたことの記述があり、信頼できる他の資料には、『昭和3年仮橋架設』の記述があります。筆者は、昭和3年説と4年説があることを常々疑問に感じておりました。最近になりまして、この稿を書くにあたり手持ちの資料を再度見ているなかで1枚の写真を思い出しました。『牛朱別川に架かる旭橋模型仮橋』との説明があり、旭橋を模した立派な仮橋です。橋上には16~17人の人、橋の下、川辺のところには7人が川の流れを見るような感じで写っています。流れのなかには七夕の短冊を下げたような木らしきものが流れており、橋の向こうには、幟(のぼり)のような、看板のようにも見えるものが見られます。面白いのは、『北海屋シトロン』『水〇〇サイダー』の2枚の看板が橋ケタのところから下げられていることです。協賛金をもらって架設費の一部にでもしたのでしょうか。この写真を撮った日が、『5・8・8』となっています。撮影者は、「工事施工員 北川昇」(旭橋設計者の一人)となっていますから、間違いなく旭橋の工事を担当した北海道庁旭川土木事務所による公式記録の写真の写しです。ただ、この仮橋は石狩川ではなく牛朱別川に架けられていたということです。いずれにしても、昭和5年8月8日に存在し、多くの市民が利用していたことは写真からも明らかです。つまり、旭橋の仮橋は、一般的に広く知られている第七師団工兵隊が架設したものと、旭橋工事予算(設計費?)のなかで架設されたものと2本あったということになります。そこで全くの推測ですが、昭和2年に、北大工学部長・吉町太郎一博士に設計指導を依頼し、4年1月に着工許可が下りていることから、3年に『模型の仮橋』が架設されたことも十分考えられます。通常、仮橋が架けられるのは1本と思いますが、2本も架けられるというのは、いかにも旭橋らしいスケールの大きな話ではありませんか。ちなみに、この写真は今では見ることのできない「ガラスの乾板―感光板」64枚の一枚で、当時を知るうえでの貴重な資料として保管されています。 旭橋を語る会 会長(当時) 関根正次北海道経済2012年5月号『牛朱別川に架かる旭橋模型仮橋』として初代会長の関根正次が紹介した旭橋の模型写真。この写真は1952年7月から8月にかけて行われた「北海道開発大博覧会」の会場で撮影したものであることが分かっている。第七師団工兵隊が架設した仮橋ポニートラス ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #歴史 #橋 #治水 #北海道遺産 #旭橋 #架設 1