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名橋・旭橋秘話⑥優れた技術
名橋の条件というのがある。その一つが「技術的に優れた橋」である。旭橋は、技術的には極めて優れた橋である・・・もちろん他の面でも・・・。「ブレーストキャリアリブ・キャンチレバータイドアーチ」という形式は、我が国では、岩手県一関市の北上大橋、東京都墨田川の白髭橋、岐阜市の忠節橋、そして旭橋の4橋で、また道内では、現役で使われている橋としては最も古い鋼道路橋である。重厚で跳躍力のある橋梁形式が採用されたのは、ドイツの技術と意匠をもとに設計されたのではないかとも言われている。
極めて優れた技術に注目してみた。
●橋門構の一部に溶接構造を用いている(溶接が広く使われるようになるのは昭和30年代)●タイドアーチ(*1)の下弦材にドイツの超高張力鋼を119tも使用している。●ロッキングカラムにより、温度変化による伸縮量を吸収、●床板にバックルプレート工法(*)を採用したことにより、コンクリートの劣化が見られない・・・etc・・・。そして、優れた設計技術があった。
遠くからの眺めは、優美な曲線と均整の取れた意匠であり、跳躍的で力強く美しい橋梁景観になっている。近くからは、部材の細やかさや無数のリベットによる様々な表情を持ち合わせている。
『橋梁の美的要素として重要なことは周囲との適合性の美、すなわち環境との調和は橋梁美の重要な審美的要素である。科学的に要求する材料が無駄に遊ぶことのない設計が力強い橋梁美を表す』『旭橋が当時の軍都との適合性を考えた意匠であり、装飾美ではなく構造美を有する形状であるため、歴史を物語る明橋として、親しまれる橋になったと思われる。』『旭川は、最北の軍都として常に有事への備えと心構えがあったと思われる。それは旭橋の設計にも大きな影響を与えている・・・当時の内務省議員回付で、市は、通常の設計では架設できず、特殊設計を要請している。これはまさしく有事への備えと言えるし、この時に施された特殊設計は、今もなお、健全な状態で使用されている要因の一つであるとも考えられる』(公開講座における北大大学院・林川俊郎教授の講演より)
当時、北海道庁の要請を受け設計指導にあったのが、北海道帝国大学工学部長の吉町太郎一博士であった。実際の設計者は北海道庁の塩塚重蔵技士・北川昇技士・樋浦大三技手であった。設計は、昭和4年1月から7月までの半年間で完了した。旭橋の膨大な構造計算をコンピューターが無い時代、算盤と筆算で行われたであろうことを考えると驚き以外の何物でもない。
当時の世相を見ると、関東大震災、世界恐慌、満州事変、そして第二次世界大戦へ突入など、旭橋誕生の頃は決して明るい時代ではなく、そういうなかで巨費を投じて旭橋が架設された。特殊設計と優れた技術、優れた品質の資材が使われて。
平成16、17年と2年がかりで旭橋の健全度評価・耐荷力特性評価という調査が行われた。
その結論は『補強対策を要する大きな損傷や劣化はない。下部構造(基礎)に用いられているコンクリートおよび花崗岩は健全かつ良質な材料である。』いわゆる「阪神淡路大震災クラスの災害にも十分耐えられる」というものであった。
*1.弓の弦にあたる部分、アーチの両端を繋材(けいざい)でつなぐことでアーチが広がることを防ぐ。
*2.1辺が1メートル四方の床板に石炭の燃えかすとセメントを混ぜ合わせたシンダーコンクリートを使用。
文/旭橋を語る会 会長(当時) 関根正次
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