なんかちいさくてかわいいやつ、に最近ハマっているやつ
最近ちいかわにハマっている
”ちいかわ”を知っているだろうか。いや、知らない人はもう日本にはいないのではないか、そんな勢いで今一世を風靡しているのが”ちいかわ”である。
老若男女を問わず、知名度は鰻登りである。2022年にはめざましテレビアニメデビューを果たしてしまった。
ちいかわとは、なんか小さくてかわいいやつ、ってこと。
ちいかわにハマり始めたのは、Twitterの4コマ漫画として連載?が始まった時に見始めたのがきっかけだ。そのただならぬ世界観とキャラクターの愛くるしさから、気がつけば、更新を待ち侘びる日々であった。単行本化したときに、追加のエピソードがあったときは感激した。今では、百均のグッズ、ご当地ちいかわ、各種ちいかわ展に足を伸ばすまでになってしまった。ちいかわ飯店も行きました(逆に事業が手広すぎてちょっと悲しささえ覚える、いっぱしの初めからファンでした、を気取ってしまっている)もちろん、アニメもチェックしている。
いつの間にか、あっという間にちいかわは知名度を獲得した。アニメの効果が一番大きいのだろうが、ファミリーマートとコラボしたりもして、職場にちいかわのキーホルダーをつけている同僚がいたり、小学生もちいかわグッズをつけていたりする。なんだかあっという間に広がったなあ、と感慨もひと塩である。ナガノさんの販戦が良いのでしょう。
なぜ、人はちいかわにハマるのだろうか
ちいかわには老若男女を問わず惹きつける魅力がある。どうしてだろうか。
ちなみに私は"ちいかわ"推しである。ハチワレやウサギや他のキャラクターももちろん好きだが、シンプルなキャラだが、眉間に皺がよった表情や、ポカンとした表情など、一番表情が豊かな気がする。
ちいかわに登場するキャラ達は全体的に丸くて顔が大きくて、足が短い。というのはあれだな、赤ちゃんだな、とか思っていたが、調べてみると、これはベビースキーマという特徴らしい。
ハローキティなどがまさにこれ、ということだが、そういう意味ではちいかわはベビースキーマの極みであるかもしれない。
一方、ちいかわはキティちゃんにない哀愁を持っている。できなくて悔しい、怖い、独りぼっち、、そうした幼少期に誰もが感じたことのある感情がセリフのない表情として上手く描かれる。大人も感じるが、なんだか忘れてしまったような素朴な感情、の表現が絶妙である。なんというか、放って置けない感じである。初めてのおつかい、を眺めているのに近い庇護欲がある気がする。
世界観も独特である。”こういうふうになって暮らしたい”なのだが、完全な創作世界と思いきや、現実的な要素も出たり、まさに ”なんか” ファンタジーっぽいけど、リアルな感じ、が良いのだ。設定が適当だが、ロマンがある。懸賞であたっちゃう一軒家とか、なんか勝手にご飯が出てくる草原とか、でかいプリンとかロマンがある。一方で、二郎みたいなラーメン屋があったり、インターネット喫茶みたいなものがあったり。そんな世界で礼儀正しく無垢に生きているちいかわ達を眺めていると癒される。
(ダブルクリームの山。この世界観。)
キャラを愛でるだけ、というにはストーリーがハイコンテクストすぎる
4コマで終了の漫画と思いきや、ストーリー全体の流れが一貫してあるところがちいかわの面白いところである。一コマの表情にその後の流れの鍵もあったりして、目が離せない。昔仲良くなったカブトムシ怪獣を思い出して泣いたり、流れ星に苦しめられたり、これあのシーンから来てるのか、、、という繋がりを理解してわかる情緒みたいな描き方が巧みである。そうした…編の中の文脈と、その編から編でだんだんキャラが成長している感じも、キャラクター漫画には珍しい気がする。
(小さなカブトムシがいなくなったちいかわをなぐさめるハチワレとうさぎ)
スヌーピーほど教訓めいたことも言わない。でもなんか、各ストーリーのちいかわやハチワレに共感しちゃう自分がいて、そこがとてつもなく、愛らしいのだ。
我々はちいさくてかわいくなんてなれないのである
ちいかわは癒しの根源みたいなコンテンツである。現実みたいなファンタジー。そこにいるキャラクターは完全な無垢である。現実世界で生きている私たちはちいさくてかわいくなんて生きられない。デカくて不細工だったり、可愛くてもしたたかだったり。ちいかわみたいに困っていてどうしよう、じゃなくてなんとかして仕事するんだよ、みたいな生活をしていると自分の素直な感情を忘れてしまっているのかもしれない。
彼らのストーリーを応援しながら眺めるだけで癒しを得られるから、ちいかわは今、求められているのだ。
最近激烈にちいかわにハマったため、ちいかわ論考を寄稿してみました。
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