戎戒
皆さんはじめまして、戎戒(えびすかい)と申します。
下ネタ好きな人で一応赤猫系夫婦Vtuberです。
1992年10月24日に生まれて2024年11月1日現在、無事生きています。今日は自分と言う人間のタトゥーをここに示していこうと思う。
生まれて始めての記憶は、4歳の時に住んでたアパート1階の自宅寝所の天井を布団で横になって見ているってのが最初の記憶。親父は自分の飲食店開いてて保育園終わったらお袋が迎えに来て一緒に店に行くとかしてたかな?確か。あ、その時はもう既に好きな人が居た。黒い服を割と着るロン毛の女の子だった。個人的に白い服の時が好きだったな。キスはわりとしてた、自分から。皆からは「いいじゃん」って言われてた気がする。小学校上る前に嫉妬心を覚える子も居た。ガチで取り合いと言う名の修羅場みたいなやつがあった。その子は好きだったけども卒園の頃に家庭の事情で引っ越すって事になった時は受け入れられなかった。ガチで泣き喚いた。お別れちゃんと出来ていたのかはもう覚えてない。ショックだったから。でも無駄にいつか会えるって思ってた。結果的にはあれ以来会ってない。
小学校に上がって勉強と言うものをし始めた頃、授業はそこはかとなく聞いてて70点以上は取ってた記憶はある。地頭は良いらしい、知らんけど。初めての夏休みの自由研究は、水を車の燃料に出来ないか試したけども親にそんなもんは無理だって言われました。結果的には作れなかったけども小1の頃の私は出来ると思ってた。家では両親が共働きだった為、家に一人の時間が多かったりした。その所為でわりと自由だー!って思ってたけども寂しかったのもあった。実は小学校頃に家出したいと思った事もある。でもな友人Aと友人B(以後A、B)で遊んだり、一緒に外で遊ぶ事が多かった。夏休みなんてほぼ毎日遊んでたね。宿題なんか1回も提出しなかったし、まぁそういうもんか。小学校の頃からなんだけども長期休み挟んだ後の人間関係の破綻が苦手だった。私だけなのか対応が薄く感じてしまって、どうしてそんな事が起きるのって不可解だった。小4年の頃からまた好きな人が出来てはいたけど、嫌がられていたね。多分ね人との距離感が近すぎたの。長期休みのそんな事を繰り返していたら次第にAとB以外の人間が苦手になってた。いじめられるのが嫌だったから親父が昔にやってた少林寺拳法を始める事にした。修行がダルくてサボる事も多かったね。そしてその辺りの年代から漫画のソウル・イーターを認知し始めた。そこから欲望に忠実になり始めた。作品のキャラクターの黒猫の魔女に興奮した。セクシーなんだもん許せよ。絵を描いてエロい物を描こうとしたけども、少しやってわかったのが絵の才能はお袋の腹の中に置いてきた事と、上手い人はゴロゴロと居るからそれを見れば良いって結論になった。世の中にはエロいコンテンツがあるんだとピンクな心を抱いて小学校を卒業した。親父の持ってた海外のAVを実は小3で見てた。何してるかわからんかったのが本音。
中学に入って制服と言うものを始めて着た時に、学ランの内側に龍の刺繍入れない?って冗談半分で親父に言われてたな。今思うと入れたかった。まぁ少林寺拳法やってたし、腕には気持ち自信があった。結果使う機会なんてなかったけど。この頃から親の事が気に食わなくなった、何でもかんでも叩けりゃ良いってもんじゃないって思い始めた。多分他の家庭と比べてまあまあ厳しい家で育ったから、すぐ手が出る事がウザかった。この頃から心がしんどくなった。それを癒すのはAだけだったBも一緒に居たけど遊ぶ事に重きを置いていたから、心の拠り所はAだけ。多分私が依存もしてたと思う、好きだったから。色々話していくと片親で上手くいってなくて母祖父母と喧嘩する事が増えて行ってた。見てるのが辛かったけども力になりたかった。なれなかった。だから遊ぶしかなかった。当時辛かったのはAが児童相談所に行って遊べなかった時。あの頃は遊べない特有の辛さがあって、家の事もあって病んでた。そしてふられた。病んでた私を支えたのは少林寺拳法だった。でもな、向上心を持って道院を変えたら、同じ学校で同じ道院で修行してた奴から「裏切るのか」って言われた。辛かったからその腹いせに黒帯を取った。
中2では算数の授業で中3や高校で出てくる解き方を使ったら先生に止められた。周りの生徒は頭にハテナが付いてたけども先生だけは理解はしてくれてた。でもだめだったね。そんなむしゃくしゃして過ごしてたら学力が著しく落ちた。あ、長期休みのくだり続いてたよ。中学を卒業する頃にはもう落ちこぼれって分類の人間になってた。
高校は中学の奴らの顔も見たくないからいける範囲ギリギリの遠い高校に行った。ぼっちちゃんみたいなあれで。そこで私は音楽に出会った。幽霊部員だったけども音楽がより一層好きになった。そこで出会ったのが、りる。同級生で同じ軽音楽の部員で最初は面白いだなって思って、モンハンをしたりして遊びまくった。その時はたぶん同じ部活の人が仲が良かったけどね。この頃に今の嫁とネットで邂逅したのです。私が病んでいて心配って言ってた。嫁も当時大変だったから力になりたいって思ってた。でもAの事はまだ忘れられなかったからちょいちょい遊びに行ってたりしてた。自宅に居場所が無いと思い始めて来たからね、Aの家に良く泊まりに行ってたし、同じ高校のクラスメイトの家に泊まる事なんてザラだった。それで警察のお世話にもなった事もある。当時の嫁には怒られた。それ以降は気をつけようと思ったけど、やっぱり学校サボったりした。親父にめちゃくちゃ怒られて嫌になった。友達の事を悪く言うのが許せなかった。卒業したらバイト行きながら専門学校卒業を卒業して新幹線の部品作りたいって思ってたけども、やっぱりこの環境変えるなら上京しようと思った。親父の昔働いてた鉄道会社からコネで内定貰って、進級のテストとか卒業のテストとか何で通ったのか分からないけども無事卒業しました。嫁は新潟に残り大学に行くって言ってた。すれ違うのが苦しかった虚しかった悲しかった寂しかった。それでも自分の人生を変えるにはやはり上京って思って断腸の思いで東京に引っ越した。
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