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花束みたいな恋をした

人生二度目『花束みたいな恋をした』を鑑賞しました!
この映画が公開されたのは、私が大学卒業を控えていた春。
刹那的な恋愛をしがちな私を知っている友人から「この映画はCoCoには刺さらないと思うよ」と言われながらも、主題歌の勿忘が妙に心に染みたこと・ちょうどその頃振られた大好きだった彼氏が見に行きたいといっていた映画だったことから、映画館に足を運んだ。

それから約2年後の今。改めて作品を鑑賞して、月日が経って自分が複数の物差しを持てるようになったからか、前回より多面的に物語を味わえたため、noteに記録したいと思います。

あらすじ

東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った 山音やまね麦むぎ (菅田将暉)と 八谷はちや絹きぬ (有村架純)。好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。最高峰のスタッフとキャストが贈る、不滅のラブストーリー誕生!

映画『花束みたいな恋をした』公式サイト

作品を鑑賞した方の色々なレビューをみて「コンテンツを通して気持ちを共有する現代人」「身近な恋愛」など、素敵な感想が様々あったが、このnoteでは麦と絹がすれ違った部分に着目して感想を述べたいと思う。

映画の推しポイント

①競争が激しい現代だからこそ対立する、経済合理性と文化性

押井守や今村なつこなどサブカルにやたらと詳しい、絹と麦。
そんな二人は、周囲にいる人々には理解されにくい自分の好きなものを共有し共感し合い、結ばれていく。
しかし月日を重ねていく中で、好きなものを追い求めていくだけでは一緒に生活できなくなることに気付く2人。
麦は「僕の目標は絹ちゃんとの現状維持」と言って、イラストレーターの活動を中断し、就職することに決める。
麦が就職した会社では、顧客からの怒号が飛び交う非常にストレスの多い環境で、お金を稼ぐことの厳しさを痛感する一方、絹は変わらず自分の好きなものを軸に仕事を選び今まで通りサブカルを愛し、互いにすれ違いが生じていく。
書店でビジネス書を読み漁るようになった麦は、最近の言葉で言う「意識高い系」なのだろう。このように自分の目標に対して真っ直ぐ研鑽を重ねていくタイプは、小説・映画など経済合理性から独立した文化的豊かさを享受するのに共感できない。
私もいわゆる意識高い系で、映画やバラエティが大好きだった恋人の趣味に、共感できない部分があった。人柄は大好きだったのに、それ以上に彼を深く理解できないことに靴づれみたいな気持ちを抱えていた。
大好きな絹と一緒にいるために、経済性を追い求めていくと決断した麦は、絹との価値観のすれ違いにもどかしさを感じていただろう。

②共有したい女と、尽くしたい男

あらすじに記載したように好きなものを共有して、愛情を育んできた絹と麦。すれ違いが起こった際に、絹は変わらず「感情を共有したい」と考えていたのに対し、麦は「絹ちゃんが楽できるように」とお金を稼ぐことに集中していたように見えた。
こういった愛情のすれ違いは、あらゆるカップルにとって、あるあるなのではないだろうか。
私も現在の彼氏と、この種のことで揉めた経験がある。
一緒に住んでいて日常的に外食に出かける私たちだが、私は外食に行くだけをデートとみなしていなかった一方、彼氏は外食もデートと捉えていた。
この対立は、私が「デート=自分が感情が動いたものを共有するもの」とコト的な意味で2人の関係性を認識していたのに対し、彼氏は「食事をご馳走してあげているからデート」とモノ的な観点で捉えていたようであった。
お互い好き同士なのに関係性が上手くいかない際は、お互いの愛情の感じ方をすり合わせる必要があると認識した場面であった。

劇的なストーリー展開がなく、緩やかな2人の物語を、一瞬一瞬丁寧に重ねていく、非常に繊細で引き込まれる映画であった。



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