旅の合間の息継ぎを
文字にするとわずかなものだが、数日間駆け足で観光旅行をしているとやはり多少疲れが出てくる。
折角遠くまで来たのだからアレもみたいコレもしたいと欲張って、夜は気絶するように寝落ちしてしまう。
何日何時間、どれくらいの移動距離どんな移動手段が自分にとって一番楽か、ペースを掴むには数をこなすしかないが、そもそも旅というものは非日常なので頻繁に繰り返すこともなかなか難しい。
こればかりはいくら事前に入念な下調べをしたとて万全とはいかない。旅に慣れるためには、慣れない旅の失敗を繰り返す必要があるのだ。
また今回の旅は友人と同行二人。
学生の頃からの付き合いで一番気心が知れている相手だが、たとえ家族であっても24時間一緒というのは知らずストレスを溜めてしまうものだ。
次また同じような旅の機会があれば、一日は別行動を挟むくらいが効果的かも知れない。まぁ超個人的な意見なので相手の同意が得られるかは難しいところだが。
自分という人間は他人がいると、どうにも他所行きの薄皮一枚身に纏ったように、自然な振る舞いが難しくなる。
行動に『他人の思考』という要素が入ってくるからだろうか。その要素が占める範囲が大きくなって、全ての動きがぎこちなくなってしまう気がする。
「気にしないでいいのに」と人は言うが、それが出来ないのがコミュ障がコミュ障たる所以。
勿論誰かと旅をする楽しみは沢山ある。
まず何をおいても心強いし寂しくないし、迷いがある時は相談できる。自分の趣向によらない行動で予想外の発見や楽しみがもたらされたり、食事の際も一人では多いものも分け合えば選択の余地が広がる。
そして思い出の共有は、良いものだ。
ただどちらかと言えば一人旅の方により魅力を感じる。
これは全く個人の好みであり性格であり、どちらが良いとかいう話ではない。
一人で家を出て、好き勝手に歩き、出向いた先で誰か知り合いと会ってしばし行動を共にする。
欲を言えばその地に詳しい人が有難い。
とてつもない都合の良い話だが、これが自分の理想の旅かな、と今回の旅行で考えた。
こんなことを考える非日常も残りわずか。
隣の友人は、休み明けの仕事を思ってため息をついている。
他人事だが、戻る日常があることは良いことだろう。後は悔いのなきよう、満喫するのみ。