眠れない君に夜の話を
どんな生き物にも眠れない夜はあるものだ。ある、カニ。左右にしかうごけない彼は短い反復運動をしながら長い夜をひとり耐えていた。カニには考える頭はなかったが感じる心はあった。空虚。カニはむなしかった。
そんな夜、カニよりも50倍くらい大きな魚影が海底に覆いかぶさった。ロングウェーブヘアを海にさすらわせる、人魚姫。姫と呼ばれているが、王族などではなく、だがお城のお姫様のような天真爛漫なメスの人魚だった。
「カニさん、お暇してるの?」
くるりん、水中で上下逆さまになりながら、人魚姫。カニは彼女に好ましい気持ちがする。左右にかくかくと小刻みに揺れ動いた。
「まぁ、カニさん、速いのね」
くるん、くるん、カニの真上で回遊する彼女は笑いながらカニの白っぽい甲羅に触れる。柔らかいわ、と、うれしそうに言った。
「具合が悪いわけではないのね。カニさん、あたしも今日は夜ふかしの気分なの。一緒に踊ってくれませんか?」
カニのハサミの先っちょに、人魚姫は、人差し指を当てる。両手ともそうやって、カニが左右に踊るたびに人魚姫は尾ビレを左右にゆらゆら、揺らめかせた。深海の底できゃっきゃっと人魚姫の喜ぶ声がこだまする。
そんな彼女であった。
人魚姫が人間の王子に失恋してその命をも散らしたと噂が広まったそのとき、海の生き物たちは1個体のアメーバのようにして団結した。許すな。王子をゆるすな! 人間をゆるすな!
その日から夜の海は真っ暗に染まり、海は人間を毛嫌いして常にその命の灯火を奪わんとチャンスをうかがっている、という。
人間は、海産物の毒と、水難事故に気をつけねばならない。
END.
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