最期の青い血(バッドエンド)

「結愛も行くったら行くんだから!!」
 アスファルトに地団駄を踏み、春美結愛は主張する。結愛はしかも泣き叫ぶから、姉の美沙と、唯一の大人である晴子は顔を見合わせて困った。
「ウチに、じゃあ、いっしょに……?」
「あ、はい。では……。すみません、お願いします」
 おずおず、晴子が提案するのに、おずおずと姉も応じた。結愛はまだ泣き喚き、その場に頭を抱えてうずくまる。晴子の息子である弓実は、とんでもない醜態を晒すクラスメイトを信じられなさそうに、眉を顰めて、気持ち悪そうに仰け反るなどしている。
 しかし、そんな反応などどうでもいいように、結愛は両の手をぎゅうとにぎって上下に振り回した。

「あたしは飲まない!! でも行くんだから!!」



「すみません、うちの妹が」
 いいの、いいの。晴子は、大人として、そう言うしかない。結愛と美沙を連れて帰宅して、美沙が要望した青汁のジュースを作った。粉末を溶かしてコップの中身を緑色に、それをリビングのテーブルに持って行く。
 食卓の端の席に、息子がランドセルを足元にしながら、着席していた。

「げぇっ。そのまずいの飲むの? ほんとに? 美沙ねーちゃん、それにハルミ、そいつ人間の飲みもんじゃねーぞ」
 美沙は、少し居心地が悪そうに目をしばたたかせる。しかし頷き、両手でコップを受け容れた。
 妹の結愛は、飲む気などはじめからないようだ。
 手をつけず、息子の弓実に、頬をピンク色に染めながら話しかけた。
「あ、あの、あたし、あたし、ハルミじゃなくって、ユアって呼んで。春美結愛! 春美結愛! ゆみ君、隣の席だよ、ね? あたしの隣の子よね?」
「そうだよ?」
 なにをいまさら、なにいってるんだ、当たり前の顔で、息子は答える。晴子が苦々しい顔になって青汁に対する対応の差で苦笑する。
「あたしが埼玉の田舎で育てられてたころにゃ、おばあちゃんが毎日コレを飲ませてきてね……。すっかり習慣になったのよ。味もそのうち馴れるものなのよ」
「でも、ゆみ君、だいっっっきらいよね? 飲ませるなんて酷い」
「ああ、だな。だよな!? ひっでーだろ!!」
「酷い色のジュース。悪魔のジュース!」

「――――」
 妹が騒ぎ、やんやと囃し立てるのを真横にしながら、美沙は青汁を飲んだ。
(――まずい。舌が、さきっぽが、痺れそう)

 驚いて両目の輪郭を拡げながら、美沙の胸には煤けた黒っぽいものが拡散された。悪魔のジュース飲んでるよ、飲んでる、結愛が言う。ほんと、悪魔みてーな味なんだよなぁ、と晴子の息子の弓実も言う。
(悪魔の、味――?)
 コップの液体をごくん、ごくん、と飲むと、その都度に全身に衝撃が走った。コレが。
 コレが、青汁。
 晴子の息子が、美沙が恋した年下の男の子が、緑色の血になってしまうと嘆きながら毎日飲んでいるという、ジュース。
 あははっ! 結愛が、面白そうに笑い飛ばした。
「悪魔のジュース!! お姉ちゃんには、ぴったり!! でもゆみ君はイヤなんだからもう飲んじゃダメだよ。血が緑色になっちゃうんだから」
「そんな、まずいだろうけど。そんなことは起きないわよ」
 晴子がちょっと口を挟むが、息子は普通に結愛と会話をする。結愛を普通の子と思って会話をする。
「あー、飲みたくねーよ。あたりまえじゃん! んなマズイやつ!!」
「やっぱり、悪魔の飲み物! ゆみ君のお母さんさん、ゆみ君にもうこんな毒を与えるのはやめてください! ひじんどうてき、です!!」
「そ、そーかなぁ? 子どものころ、ウチのおばあちゃんは――」
「そんなの関係ない!! 関係ないよ!!」

 美沙は、そんな会話を聞きながら、青汁を飲み終えた。コップをテーブルに置き、目の端を滲ませた。
 横から、すかさず結愛が口を開けた。悪魔のようにして指摘した。
「あーあ、おねえちゃん、飲んじゃった。あーあ!! 緑色の悪魔!! 悪魔のジュース!! 悪魔にもっとなっちゃった!!」
「そんなことは」
 晴子は、気後れがちにフォローしようとするが、結愛に睨まれて黙った。結愛がちょっと激しい性格の女子児童とは、もう知っているのだ。
 息子の弓実は無関心に頷き、てきとうに会話していた。
「血は緑色になるに決まってるじゃん。美沙ねーちゃん、だいじょうぶ? あーもう、ママ!! マズすぎるからねーちゃんの顔が真っ青だよ!!」
「あ……、だい、じょうぶです、すみません」
 唇を緑色に汚しながら、美沙は、必死になってその場を取り繕った。見かねた晴子は、今度は、普通にアップルジュースなどを注いだコップを持ってきてくれたが、美沙はそれを断った。
 そして結愛の手をにぎり、この家をあとにした。
 できる限りに、早く。一秒でも早く、ここを立ち去らなくちゃ。美沙は心に念じて速駆けする馬のようにして自宅へと突進する。
 妹の結愛が、ぶきみにくすくすして、あーあー、あーあ、と美沙の飲んだものを罵った。
「いくら飲んだってゆみ君とおそろい、なんてならないよ! お姉ちゃんはちがうんだから! ちがうから! あーあ! ゆみ君の家にまで侵略しようとしてお姉ちゃんてば醜い魔物のようだわ。悪魔! 悪魔!!」

 げ、げぼ、と、耐えきれなかった美沙が、道ばたで今しがた飲んだばかりの緑色のジュースを吐き出した。

 上の口からは緑色が、生理が四日目の下半身からは青色が、肉体を破ってはちきれんばかりに漏れ出てきていた。

 きもちわるくてめはまわり、せかいはかいてんしてまわり、ぐちゃぐちゃにしかいがゆがんでなにもわからなくなっていく。わからない。美沙はもうなにがなんだかわからない。足音が聞こえた。あと少しで、丘の上にある春美の自宅がある。そちらから足音がした。
 その足音の主は、春美家の女主人。
 ハルミハルミバハルバルナバヌハル・ミー・ユーミルだ。

「あらあら、ミサ。毛がでているわ……」
 春美美沙、春美結愛の母親でもある美しくうるわしい彼女は、その本業の悪魔らしく、悪魔として娘に話しかけている。
 娘は黒くもじゃもじゃした獣の毛を皮膚にはやし、黒いもじゃもじゃになって苦しみながら変化を遂げている、まだちいさな娘。生まれたての悪魔。人間の器を壊して悪魔として羽化しようとする生き物。
「ここじゃまずいわ。家にいらっしゃい、ミサ。ミサ、おめでとう。もう完全な悪魔よ。今、悪魔になれているわよ」
 ピ、ガー、と、壊れた機械音のような声が、ミサの喉を引き裂きながら零れた。
「……*+P<@;>~W*+C」

 黒い毛むくじゃらの塊と化した姉の傍らでランドセルを背負って、ランドセルの紐を両手ににぎっている春美結愛は、つまらなさそうな表情。

「あーあ、悪魔になっちゃった」
「あーあー、悪魔だ、悪魔だ。あーあ!」
「母さん、あたしも生理がきたのよ? ほんの昨日に。でも母さんはあたしにはそう言ってくれないのなんで? ブッ壊れないのは嬉しいけど~、あたし、ずっと母さんみたいにキレイでいたかった」
「ユア、生理の血、赤かったでしょう」
「えー。あーあ、バッカみたい! この毛むくじゃら!! もうお姉ちゃんじゃないよね、こんなのは!! ペットだと思えばいい!?」
「ユア。あんたは、本当に悪魔みたいだわ」
 それは、ユーミルにすると最高級の賛辞であるのだが、人間の結愛には届かずに結愛は余計につまらなさそうな顔になる。届かぬ夢をチラつかされて不機嫌を露わにした。
 そして不機嫌なまま、自分たちについてくるもじゃもじゃを残酷に見下ろした。
「ペットだって、イヤだわ。よく考えたら! 最悪!!」
「そうね、そうね。ユア」
 ユーミルは、(なんて悪魔らしいのかしら、もったいないこと)などと思いながら、
「せめてペットぐらいには可愛がって? お姉ちゃん、しばらくは人間の形に戻れないだろうからねえ。姉ちゃんはね、悪魔になったの。犬の姿には人間よりも早くなれるかしら? がんばるのよ、ミサ。悪魔の寿命はながいから好きにしていいんだけれどねぇ」
「ふーん、ずっるい!! サイテー!! ふんだ」
 結愛が、姉ではないものを見る目で、思うままにこれを蔑んだ。

 黒い液体のような毛むくじゃらが這いずって、悪魔のハルミハルミバハルバルナバヌハル・ミー・ユーミルが居住としている丘の家を目指している。

「{A>P@p[@.;…………」
 這いずったあとには、わずかながら、青い体液の筋が残された。

 それは、悪魔になってしまった女の子の、最後の人間的な人間らしい血潮の名残であったけれど、青い血の筋はみるみるとうすれてやがれ途切れた。
 完全に止まった。ミサの生理は、こうして止まるのだった。



END.

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