果てのなかの果て

永き寿命を持つと、何もかもが浅く見えてくるものだ。人魚たちは、ときに、海藻のような意識なき生命体として文献に記される。

それほど空虚で単にただ無辜に潮目に流されるだけ、そんな彼女たちもいるのである。
意味など何もないから。

無であるどころか、姿形はあるのに、空洞であるから。
流されてフラフラするだけ。
そんな人魚たちが集団でぼうっとしていれば、それはワカメのような藻類などといわれを受けても仕方なきことである。

そんな人魚が、ぴくり、まぶたを反応させて見動きして、ふりかえるときがある。
乙女の姿をしている通りに。
神に定められた通りに。

恋の春風に誘われて、ふりかえる。

恋の予感こそ、子孫を残すためのトリガーである、原始的なときめきこそ、人魚姫をまだ現世に連れ戻す作用がある、良薬である。

永き時を過ごそうとも、人魚たちは恋の話や相手にはふりむくのだ。
それが、原始生物に残された、本能、こころ、能力である。

人間もまた恋には足を止めてふりかえる。初恋は永遠に忘れられぬと伝聞を残している。それほど恋とは『重い』のである。

恋とは、生きるうえでの命。

最近、恋をしていますか?
あこがれる何かはありますか?

人でも、娯楽でも、なんでも。
夢中になれる、恋心、ありますか?

不老不死よりも尊いギフトを命はすべからく与えられている。このギフトを大事に、忘れずに、明日を生きたいものである。


END.

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海老かに湯
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