冷凍庫のバレンタインデー
好きな子からのチョコレートはくちにいれるのがもったいない。消えるから。泡みたいに。チョコレートは、気がついたら消えるから。噛まなくてもスゥッて幽霊みたいに。いなくなるから。
好きな子がぼくのなかに入ってくれる。
倒錯的な感慨にふける。それもできなくなる。開けて食べたらそこで終わる、チョコレートは精神の面でも高級品なのだ。スゥッて、消えるから。愛情の証も、誓いの指輪も、思い出も、なにも残さず消えるよう、ぼくには思える。気がついたらチョコレートは口から消えるから。消えるから。
ぼくのママは実際、消えた。
ある日、いきなり。
お腹がすいてすいてすいて死にそうだったのを覚えてる。イスや箱を積み上げて、何回も転げ落ちながら、ママのマネをしてなにかを回した。ガチャンという冷たい音を覚えている。チョコは消えるのに、これは消えない。ドアが空いて、裸足でウロウロしていると知らない誰かに声をかけられて、気づいたら警察官に囲まれて、缶ジュースなんてすごいものをもらって、コンビニのご飯なんて高級品を食べさせてもらえてた。
それから、施設に入った。
じゅうはっさいになると、追い出された。
工場で働くようになって、近所のコンビニに毎日通うようになった。
ぼくは、なんだか、髪がいつもぼさぼさで、着古したシャツ姿で、なんだか貧相な女の子が気になった。アルバイトで入っているようだけど、昼にも、朝にもいる。大学に行っていない、働いている、同じくらいのとしの女の子。ぼくは初めて自分から声をかけた。
それから、いろいろあって、バレンタインデーの昨日、はじめてチョコレートをもらった。
100均で買っただろう袋に、おなじく100均のチョコレート、デコ。ぼくは、実家の匂いをかんじた。懐かしさをかんじた。
でも、知らない匂いでもある。ママを思い出したけれど、どのママもぼくに優しくて、本物のママではない。
ぼくはきっと、まちがった恋をしている。チョコといっしょに彼女にデートに誘われた。食べてみたい、パンケーキがあるの、恥ずかしそうに彼女は自己申告した。
ぼくは彼女に幸せになってほしい。
ぼく、以外のだれかと。
なにせぼくはぼくのような人間だから。ママの匂いをきみに感じて、しかもそれは知らないママの匂いだから、きっときみに理想を見すぎている。不幸にしてしまいそう。きみならもっと幸せにする、誰かが見つかる。
もちろんぼくは好きだ。
大好きだ。
ぼくは、チョコレートを冷凍庫に入れることにした。
大切に、とっておくために。
いつでも、開けられるように。
でもぜったいに、食べちゃわないように。凍らせておく。ぼくのぼくへの約束だ。
彼女とデートしたい。したい。したい。
でも……なんて、思う。
ああ、どうして、彼女にもぼくにも、友達っていうものがいないんだろう。こういうとき、きっと相談するんだろう。頼むから彼女には友達がいるマトモな男がぼくを圧倒的に打ちのめして彼女を幸せな道に連れて行ってあげてくれ。
ぼくからとおく、遠く、離してくれ。
もう取り返しがつかないくらい。遠くに。
……ともだちがほしい。まともになりたい。友達がほしい。彼女を、幸せにできる男になれる可能性。
……ぼくにあると思う?
誰か。誰か。教えてよ。なんだから頬が濡れた。ぼくは冷凍庫を閉めた。
END.