雨を音楽と海に還らない

人魚姫が丘に立ってから、姉や海のともだちは、どうにかして彼女を海に戻そうとする。それこそ魔女に魔法を斬る短剣を授かったり、陸地に大嵐を呼んだり、あの手この手を駆使した。

人魚姫は雨にはおおいに心を揺さぶられ、ところが、彼女を想うものたち全員の期待をうらぎった。

(アメ、って、楽しい?)

下働きの女の服を着て、壊れた人間みたいにして雨のなかに棒立ちするようになる。人魚姫は雨が来ると必ずそうするようになる。雨。海にいるときは、雨のほんとうの姿を知らなかったんだ、人魚姫は皮膚から学ぶ。

ぴしゃぴしゃ、

かんかん、

しゃらんしゃらん、

雨の強弱によって音色は変わる。陸にあがった代償として声を封印された人魚姫は、ただただ無言のうちに、空気の色と雲で雨模様を判断しては毎回、雨に打たれた。人魚姫の姉やともだちがますます彼女を心配するようになった。

心配は的を得ていて、城では、『あの』『おんな』『キチガイ』などと罵倒されるようになった。人魚姫が浜辺で倒れているのを見つけたのが、朝の散歩にでていた王子であるからこそ、人魚姫はまだ捨てられないだけの話だった。王子は人魚姫の容姿を気に入って、うつくしい、花のようだと、朝食の水を注がせる役目などを指名している。

しかし、それも王子に惚れたはずの人魚姫が、雨に気取られるようになると話は変わってきた。二度目の恋が始まったようで王子に水を注いでも人魚姫は雨の音が気になって彼方を見つめるようになる。これには、王子もいささかへそを曲げた。

彼女、頭がおかしいのかい?

はは、はぁ。どうも……そのようで……。

いよいよ捨てられる、そんな折りに、旅の楽団が城へと立ち寄った。各種楽器を揃える彼らの音色に、人魚姫は、ふり向いた。

宵のしらべ。

夜の宴。

すべてで、人魚姫は、ぽうっと頬を桃色に染めやして呆然と立ち尽くすようになった。見かねた城のものが人魚姫を叱るが、楽団のある女が、人魚姫の瞳に宿る狂った恋情に勘づいた。

「アンタ、さわってみるかい?」

叱られたあとの人魚姫に声がかかる。

人魚姫は、指先をふるわして、胸に抱えるほどの小ぶりなハープに触れた。女に教えられるとおりに弦をつまびき、生まれたての音楽を広場へと押し漏らしていった。人魚姫の瞳はオスを知った女王さながら、様変わりした。熱病に取り憑かれてハープを奏でて音楽とともに戯れた。その姿は異様である。

が、うつくしかった。

王子の一声で、小ぶりなハープが買い上げられた。人魚姫にそれが与えられて、楽団の女は一ヶ月ほどの逗留と音楽の指導を任された。

はたして生きる道の変換点とはどこに落ちているものか。人魚姫の姉もともだちも、もう、人魚姫を海に戻そうとはしなくなった。城のものも人魚姫をキチガイ呼ばわりすることをやめて、王子も捨てるなんてバカな、と考えるようになった。雨の音は変わらずに人魚姫をあやしつづけて、夢見心地にさせた。

今は、雨が降っても降らなくても、人魚姫は小ぶりなハープを抱えて日がな演奏を楽しんでいる。城のものの生活にあわせた音の色を、雨が降れば雨の音楽を、なにもなければ深海で聞いてきた美しい思い出の旋律を。

いつ訪れても美しいハープに浸れる城、音楽城の名君として、王子の名が陸地を馳せた。海でもまた、地上の音楽を奏でる人魚として、人魚姫の名が馳せた。

王子と人魚姫はその後、べつに婚姻などはしなかったというが、仲睦まじい姿で、ともに城を盛り立てていったという。ある平和な時代の寝物語として水陸ともに永らく残ったそうだ。


END.

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海老かに湯
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