宵闇の「アリシア」(悪役令嬢・続)

 フランシス・ボワーズは、ふと異常に気がつき、そして気がつくとそれはとてつもなく恐ろしいことであると察した。決して彼女は馬鹿ではないからである。

 しかし、聞かねばなるまいて。
 ある夜の月明かりが眩しい一日。フランシスは、暗殺者の婚約者として誘拐されてきてから実に一ヶ月も過ぎたころに、ようやく、話を切り出した。

「ところで、質問がございますのよ」
「なんだ」
 毎晩、添い寝を強要されている。当たり前のように、今夜の寝所にも、漆黒の黒衣をまとった少年のような男がよこたわり、フランシスと肩を並べていた。

 ともに生活をする――、そんな表現ではなまぬるい。監禁されている。しかしフランシスは、フランシス本人にすると『どちらかといえば……』という認識であるが、悪いやつの考えることは察しがついた。繰り返すが、彼女は決して、頭が馬鹿ではないのである。
 相手は少年で、子どもであるとはいえ、暗殺を生業とする闇の住民だ。抵抗は無駄だし、下手を打てば殺されるし、もっといえば婚約者としてのせめてのもの地位は彼の気まぐれの成せる技である。彼は、どこかノラ猫を彷彿とさせる。フランシスは、当初の夜に想像したエッチなことなどはされず、ただただ、添い寝して、お菓子をつくったり、料理をチャレンジしてみたり、庶民のような――ある意味で屈辱そのもの――生活を送っている。

 ともかくその晩、フランシスは、尋ねてみた。
「あなた、お名前は? わたくしなにも知りませんことよ。婚約者の名前も知らずに結婚するのはともかく子どもを産ませたいのでしょう? なら、子どもの名前を考えるときに、あなたの名の知識ぐらいは必要ですわ」
「そういうものかな」
「そうですわよ」
 鈴虫の鳴き声が、石壁の向こう側から届く。静かな夜だ。湖畔のボートで不安定に揺らされている気分で、フランシスは続けた。
「旦那になるのでしょう。暗殺者さま、お名前、そろそろ教えてくれてもよろしいんじゃなくって?」
「――――」
 なにが難しいのか、暗殺者が沈黙する。

 おや、殺されるのかしら? フランシスはぞっとした。が、少年は、グレイアッシュの眼光と、寝所でも携帯しているナイフの柄を窓からの月光に映し出しながら、寝返りをうって体を横向きにした。
 肘をたてて、手に頬をのせる。つまらなさそう、とフランシスは思った。

「おれの体は、改造されてある。ターゲットを油断するため、産まれたときから成長抑止剤を投与されつづけてきた。だから、二十歳を超えてもこんななりだ。こんな年子の子どもを婚約者にしたいなんて変態の思うことだろう? おれはそんなの願い下げだった。おれは、たまには人間並の生活をしてみたい、など無謀なことを考えていた。お前はちょうどよかった。消えていなくなればいいだけだし、女だし、お前の美貌もおれは好きだ。王家の元婚約者に捨てられて、その原因が数々の悪行というのも気に入った」
「褒められているのかしら? もしかすると?」
「褒めている」
 グレイアッシュの瞳は、ひたりと、フランシスを真っ正面から見上げる。フランシスよりずっと年下に見える彼は、まだ、よくわからない口上と身の上話をつづけた。

「こんなような体だ。子どもを作るのに抵抗はあるかもしれないが、死ぬよりはマシだろう? それはわかるだろう? おれが選んだ女だ。お前は悪い女だからな、生存本能がさぞや強いだろう。子を産めるな」
「もちろんですわ。まぁ、名前を教えてくださるなら、という条件を今はつけてもよろしくて?」
 暗殺者少年が、しばらく沈思した。

 りーん、りーん、鈴虫が鳴っていた。

 少年が、ぽつりと言う。
「アリシア」

 女のような美貌の美少年暗殺者は、名前まで女そのものだ。なるほどなるほど、確かに、ターゲットを殺すのに最適な人生を歩んでいるのね、と、フランシス・ボワーズは普通に納得した。悪役令嬢であるので。



END.

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海老かに湯
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