あばら家のみずがめ
ある辺鄙な土地、枯れた土地にぽつんとあばらが組み立ててあった。いつから誰がそこに住んだか、いちばん近い集落の誰も知らなかった。旅人が気付き、あそこには誰が住んでいるのですか、と尋ねてやっとあばら家を知る始末だった。
はてさて、誰じゃろうか。
おやまあ、立派な木材を使っている。寂れているけどまだまだ住める。それに、なんておおきな水がめ。水がめのなか、まだ水が清んでるけぇ、誰かが近くにおる。
だれじゃ、だれじゃ。
そんな話題はのぼるが、肝心の家主がいない。旅人も立ち去り、若い男衆も引き上げていった。
ぽつん、あばら家はまた、一軒だけ取り残される。
月がない、新月の夜になると、実は、決まってあるものが訪れる。蛇の腹が腹ばいになってほふく前進するかのようにソレはやってきて、あばら家をぐうるりと周回して、最後に、水がめの貯水を確かめる。水が汚れているならば汚れを手で掬って、舌で舐めて、汚い部分は食べてしまう。きらきらに山奥の流水ほどに水を清めるとやっと満足して、ソレはまたあばら家をぐるんと周回して、大切な、大事なひとを確かめるように、思い出に触れるようにしてその家を愛おしげに見つめるのだった。
月のない夜が終わるまえに、それは尾を腹ばいにさせて、来た方角へと這い戻る。
水の濡れたあとが粘着質に残されるが、草の茂みにまじってしまうとそれはもうソレを知っている者でないと見分けがつかなかい。
昔、口減らしのために海に放り捨てられた子どもを拾って、ひそかにこれを育てて天寿までまっとうさせたモノがいた。
しかし、そんな話は誰にも見つからず、誰にも口伝されず、当の子どもと拾い主しか知らぬから、しかも子どもなんて青年期を経て老人になって死んでいるときた。誰も知らない。誰にも知られない。
あばら家は、えんえんといつまでも、そこにあるかに思われた。水がめの水だけはいつでも水面に顔が反射するほど清められてあった。いつまでも水だけは必ず美しかった。
しかし、あばら家のほうは、年月とともにだんだんと朽ちていった。100年も経過して村人たちは入れ替わり、とある女がふしぎな水がめの話をお婆から聞いてあばら家まで足を運んだ。
あばら家はすっかり朽ちて崩れ落ちていて、潰れた腐った木材の塊があるだけの場所になっていた。
肝心の水がめは、ない。
周囲を探ってみると、ちょうど水がめほどの重さのなにかを引き摺って持ち運んだあとがある。女は興味をもった。動物の足跡を探るのと同じ要領でこれのあとを追う。
すると、海辺にでた。
「おやまあ。こんなところからいけたんね、海」
もっと遠回りする道しか知られていない。女は岩礁に打ち寄せる波の音に耳を澄ませ、ふと岩礁の貝殻などをひっぺがし、持てるだけの戦利品を持って村へと帰っていった。水がめのことは、まあ、そんなこともあるだろう、と納得した。きっと足が生えて歩いて海にでも行った。その水がめとやら、きっと妖怪の類いなのであろう。
水がめは、今は海の底に持って行かれて、大事な思い出に寄り添うようにして、とある怪異の物の怪にそれはそれは丁重に、とりあつかわれていた。
END.