底なし沼のそこは?
そこに、底があるが、真っ黒い液体のなかではそこを見ることはできなかった。汚泥でドロドロしたそれは本当はすぐそこに足がつくのに、底なし沼と呼ばれるようになる。
底なし沼になったとたん、汚泥に足を奪われて、浅瀬で溺れる人々が増殖した。増えた。ワァッと押し寄せて汚泥をさらに禍々しくドロドロの腐敗死体などで汚していった。
動物、馬などは、人間の呼び名なんて知らないから、馬もシカも犬も猫だって必要とあらばその沼に踏み入って無事にすり抜けていった。人間だけが、底なし沼にひっかかる。
いつしか沼の名前は増えた。
審判の沼。審判の底なし沼。罪ある者を沈める、神の選抜を行う沼地。
こうなると、こんどは、生き残る人間が這い出てくるようになった。
自分は決して罪はないと信じる者がまえへまえへ、進んでいって泥を出た。泥を出れば罪が赦されるというから、必死にもがきながら泥を渡る。
冤罪、おかされたのに権力者によって罪人にされた女、人殺し、連続殺人鬼、子どもや妻を愛している盗人。強い意志さえあらば沼は渡れる。その者の災禍を問わず、沼は、強き意志ある者を素通りさせる。
善人を救ったし、悪人を野に放ったし、極悪人を無罪放免にした。
一方で、何者だろうとも心の弱き者、すでに尋問と拷問で死にかけている連中などは、沼に吸われていった。罪のあるなしに関わらず。
沼には、なんら落ち度はなく、ただそこにいるだけの沼だった。
しかし、やがて、審問はくだされた。沼にあるときから意識がやどり、それは、自身の在り方を嘆くようになった。罪人には死を、冤罪者には救いを、そう願うようになった。
それでも単なる沼だから、沼に意思があろうが、せいぜい極悪人に必死に絡みつけないものかと叫ぶ程度の変化。この者を誰か助けてあげて叫ぶぐらい。
神が与えた、沼への罰であった。
勝手に神の代行者の名を受け容れたから。裁きつづけたから。
それが、罰の由来であった。
みな、みんな、皆、勝手に生きて、勝手に死ぬ。
世界の真実が少しだけ、沼に反射した。
漆黒どろどろの汚泥ジュースが、真実を吸い込んだ。
END.
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