薄汚さにある理想郷
終末世界としてプログラムした、私の都市には来年が来ない。終末期のニンゲンや動物がどういった行動をするのか、そのシュミレーションと観察が今回の私の選択課題だ。
映画とか好きだし。まんがも読む。
気軽な気持ちで、ウェブ配布されている行動データなどを蒐集してはこのプログラムに招き入れた。この終末都市のモノたちは、来年がもう無いことを知っている。本当は数ヶ月前に私が造ったモノだけれど、すべてが歳相応の経験と知識、老化などを学習している。私のパソコンプログラムのなかでは、普通に生きているデータたちだった。
2022年、年の暮れ。
終末都市、消滅までの残り時間。
レポートに終末都市の行く末を書こうとして。
私は、なんどもえづき、涙して、しゃくりあげながらプログラムの観察を中断している。そんなバカな、と最初はこみあげてくる胸の苦しさに困惑した。
私こそが、狂った終末都市をプログラムしたのに。観察者になるため。神様の気分。ちょっとした洋画とかの真似なんだよ。
しかし、プログラムのなかの住民たちを覗いて分析にかけると、カレらは実におとなしく死を受け容れている。なかには、暴れているやつもいるが、半数以上は、愛するものや、さびしいものや、なにかと連れ添って終末を待っていた。
私はこんな悲しい光景が見たかったワケではない。
もっと、こう、B級映画みたいな、バカバカしさを期待した。
なのに、実際には、終末都市はずぅっとクリスマス前々日のしずかなおごそかな夜を過ごそうとしている。プログラムは、もしかすると、現実の私たちよりも賢いのかも知れない。慈悲深いのかも知れない。愛を知っているのかも知れない。
このプログラムを組んだ私、この終末都市に放り込んだ私、絶対の死を設定した私。
神ではない。
きっと、悪魔なんだ。
人間らしさをひしひしと寒気とともに実感する。私ってうすぎたない。人間って生き汚い。もっともっと狂乱してパニックして都市に核爆弾が落ちるぐらいを、想定していた。
私は薄汚さを如実に体感しながら、みずからの罪の集まりのような終末都市を見つめながら、そこには来ない、2023年を迎えるだろう。
ああ、死にたいな、なんて、すこしだけ思った。私はどうしてこんな人間に育ってしまったのだろう。
プログラムの終末都市は、もう全滅するっていうのに、理想郷だった。
なんて、苦しくて、美しい、都市。
END.
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