アオミドロの悪魔(たんぺん怪談)
6学年の美沙は、肩を落とし、溜め息をこらえながら、影のようにして存在感もなく廊下を歩いていた。
低学年の廊下を越えた向こうに、保健室がある。
脳みそが渦に巻き込まれてくっちゃくっちゃと掻き混ぜられる、そんな居心地の悪さが、今月もまた、美沙の下半身に訪れていた。
パンツのなかに生理のナプキンが敷いてあって、今月も……。
ああ、ああ、と美沙はあてどなく、独りこっきり置いて行かれた未帰還兵のように嘆き、今月も耐える覚悟を決めていく。6学年の女の子が背負うにしては、十字架は巨大にすぎて重かった。
(あたしの生理の血は真っ青で、青い。なんでなら、あたしは悪魔だから。母さんが悪魔だから、あたしも人間じゃなくて悪魔の子。だから血は青く、生理の出血も真っ青に染まるんだ)
重圧に、人間ではなかったという事実に、生きているだけで胸がくじけそうになる――が。
美沙は、悪魔の美沙として、すでに儀式も終えて悪魔たちのグループラインにも入れさせてもらって、日がな悪魔たちの悪魔的な報告や雑談などを受信している。まちがいなく美沙は悪魔の一匹なのだった。
が。
「やーい、緑の血!! きみわりぃ、緑色の血!」
「!?」
はっ、として、美沙は伏せていた視線をあげて、通り過ぎていく低学年の男子児童を――、塩素で色褪せたようなグレーっぽい髪色の男の子の背中を追って、その瞳に彼を映した。
隣の友人らしき男児はさらに言う。
「人間じゃなくなってるだろ。緑の血ぃしてさ、虫なんかと同じだよお前。だから虫好きなんじゃねーの?」
「ばーか。ママに文句言えよ。ママは悪魔なんだよ!!」
「――――」
美沙が、穴を空けるほど、男子児童を凝視する。
彼は、グレーの色褪せた前髪を揺らし、なんてことなく、目の上にかかった髪をはねのけながら強気にははんっと胸をはった。
「おれの血が緑色になるまで飲ませる気なんだよ、あの悪魔ママ。つうか、ばーか、セミなんか血が黄色してんじゃん。そっちの血だって紫色とか真っ黒とかかもしんないぜ? なんせ」
2年A組の前で立ち止まったその子は、人差し指を立てる。勝ちほこってなにやらセリフを格好つけて決めた。
「虫だって潰してみるまで何色の血ィしてるかわかんねぇもん!」
「おま、悪魔。ママが悪魔ならおまえも悪魔してるわ」
「好き好んで緑色の液体なんか飲むかよ、あんなもん飲ませるママが悪魔に決まってんだ!! 潰したらおれの血ぃ緑色だよもう!!」
「にしてもカブトムシはでないんじゃね? ここの裏山」
「くそっ。店には入荷してくんのにな」
「――――」
美沙は立ち止まって、男子児童たちが消えた、2年A組の差し看板を見上げた。
学校では禁止されているのだが、スマホをポケットから出して夢中になって操作をしてしまう。
悪魔たちのグループラインは明るく、和気藹々としたものだ。たまに○○を殺した、呪っておく、などと不穏が混じるが、それはともかく加入してもっとも日が浅い者は、やはり美沙だった。それを確認する。でも。
(――あたし、だけじゃ、ない――?)
生理で気持ちが悪いから、悪魔だから気持ち悪いから、どうしてもまだ受け容れがたいから、だから今日は保健室で休もうと思った。しかし。緑色、と自然と呟きは漏れた。日本では、ミドリを青と言うことがある。青信号、といって緑に光る目印をたよりにしたり、青いと言ってレタスやキャベツなどを手にしたりする。
考えるまでもなく、美沙の瞳はきらきらと輝いた。悪魔を知る前の純真無垢な小学生の女の子にいまひとたび戻って。
なにかを考えるとか、理屈を抜きにして、美沙は真っ先に思う。先程の男子の横顔が脳裏にこびりつき離れない。焼き印になって離れない。きらきらとあの子の声も横顔も、夕焼けを浴びた湖面になって輝いた。
本当のところは、だって悪魔のグループラインにも入っていないし、ミサでも会っていないし、ここはただの小学校の廊下だし。あたしもわからないわ、頭のどこかで冷静な声が告げる。しかし、美沙は熱狂した。
(ああ、ああ――)
(あたし、今の子が好きだわ。緑色の血をした、年下の子。どんな血の色でもかまわないと言ったあの子が、あたし、大好き)
怪奇現象のようにして、落とし穴にずぼんと落ちるようにして、身も心もはまってしまってこの瞬間、美沙の初恋がはじまった。
燃え上がりようは悪魔的に激しく、肉体を内側から蝕んで、焼いて焦がすほど。
ミドリ色に執着するようになるのは、この日が境の変異である。
END.
読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。