雪うさぎこんこんと
春がもうすぐ近づくので、冬の雪うさぎたちはピョコピョコしておやまに帰る。冬の精霊である雪うさぎを、キタキツネが追いかけた。コンコン、コンコン、すでに肉の器のない雪うさぎたちは、キタキツネのまわりでぐるぐるして遊んで、ほうぼうで寄り道しながら各地の山のてっぺんを目指していく。
こん、こん、こん、おやまのてっぺんで、風の精霊がちいさな声でかよわく歌う。
山を見下ろし、キタキツネと雪うさぎの、肉体がないからこそできる遊びを見下ろして。こん、こん。風の精霊はかつてはマーメイドあるいはセイレンと呼ばれる、海の生きものであった。
人間に恋をしたことで落命し、しかしその死に方を精霊に魅入られて精霊世界へと招かれた。異世界転生のようなもの。
しかし、マーメイドは、異世界転生といっても古典組であった。エンジョイ勢ではない。新しい異世界転生なんてもとの世界に戻らない、何なら一度も思い出さないとか、よくあることだ。
しかしマーメイドは異世界転生者でも、古典の組分けだった。人間で言うなら昭和ファンタジー、平成ノスタルジック、まだ、異世界へ行ったら、帰ってくるのがセオリーであった時代。それより遙か昔、おとぎばなしの時代感覚が、マーメイドに残っている。
古典の異世界転生は死のせかいなど。
悪魔の世界に落とされるなど。不吉の象徴であった。
「コン、コン、コン……」
セイレンでもあるマーメイドは、密かに歌いながら、人間のすがたを探した。おやまに人間はいないものか。精霊としての私なら、人間と結ばれたり、仲良くできたり、しないものか。愛らしい雪うさぎが、人間に拾われて育ててもらうみたいに。
やがては雪女となる、雪女が誕生する、少し前の、精霊の架空の誰かに対する、恋わずらいであった。
雪女は、コン、コン、コン、木板のドアを3回ノックする。
こん、こん、こん。
雪うさぎのように、愛されること、愛でられること、ういやつとして可愛がられることを期待して雪をまとっている。風の精霊でもあるので、だから雪女は吹雪とともに現れる。雪うさぎのよう、真っ白な着物をきて、男の住み家の戸を叩く。
こん、こん、こん、戸を拳で浅く叩く。
「もし。どなたか、おりませんか? わたくし道に迷ってしまって…………」
こんこんこん、混迷する。
マーメイドは、まだ恋を諦められない。
END.
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