苦くて青い心(ノーマルEND)

青汁――。晴子は、昔。埼玉の田舎でおばあちゃんにしょっちゅう飲まされたこの苦くて青いジュースを思う。正直、だいきらいだった。しかし当時、いつもは優しいおばあちゃんが「体に優しいけんね、飲んでおきなはい」と頑なに言いはるから、晴子はどうしようもなくて毎日コレをごくごくやっていた。
大学生になるころには、すっかりと洗脳されていて、まずいが体には良いものだ、と認識が変化した。
以来、晴子は、毎朝は決まって昔ながらの粉末青汁を開けて水に溶かして掻き混ぜて、グイッとこれを煽って飲んだ。

(うわ、まず~~い!)
なんて反射的に思うこともあるが、それだけだ。
日常の一部に混ざった青汁は、それだけの感情は呼び起こすが、それはそれとして晴子の習慣と化していていつもの定番の朝食メニューだ。

「どーぞ、はじめてはちょっとビックリするかも」

晴子は、自宅に遊びに来た上級生の女の子に、作りたての青汁を提供した。彼女はアーモンド型の瞳をさらにほそくして、むずかしいものを見るように、青汁を見下ろした。
隣のイスから、息子がやんやと騒ぐ。
「美沙ねーちゃん、別に飲まなくってもいいよ、まずいんだから。血栓の詰まりが改善されるだなんだママが言うけど、飲めばわかるけど、むしろ血が詰まるよ、こいつ!」
春美美沙は、手を伸ばす――、コップを手にする。

たゆん。緑色の液体が、コップの内側にて波をうち、箱庭に閉じ込められた海面のようにしてぐるんぐるんとした潮の流れに回転した。
そして、ぐびっ!
美沙が、一息で青汁を盛大に飲んだ。

おお~、と晴子は感心をしてみせて、ええ…、と息子はちょっと困惑した。美沙がごくごくして空にしたコップをテーブルに戻した。そして美沙は言う。ごちそうさまでした。
その目は、丸く、驚きにふちどられている。晴子は満面の笑顔になって頷き、自分の青汁習慣がこの少女に受け容れられたことに満足した。息子は、えー、とか、だいじょうぶ? などと質問して、少女を心配……というよりかは疑った。

美沙は息子の弓実を見て、うすく、笑う。
微笑みこそが苦そうだ。青汁は平気な顔をして飲んだのに、今更、苦そうに苦笑した。
「あたしの血、緑色になっちゃうかな。ゆみ君、そう思う?」
「なるよ」
弓実は断言をする。
が、頬を染めて、遠慮がちに隣のイスの、上級生の微笑みをうかがった。反応を期待しているのが見てとれた。
「でもおれもだけど。血ぃ緑になる感じあるよな? 美沙ねーちゃんも、うちの青汁、これからずっと飲むの?」
「……飲もうかな」
「まじで!!」
「うん」

6年生の美沙は6年生に似合わない、複雑な表情をする。笑っているのか眉を八の字に寄せて苦痛に耐えているのか、微妙なところの表情だ。
泣いてはいなかったが、美沙は、自分の親指と人差し指で、左右それぞれの目尻を拭った。指先でそこを刺激して皮膚を引き攣らせた。不可思議な挙動で、晴子も息子も、我が家のテーブルで肩身がせまそうにしているこの少女に注目する。

美沙は、泣かなかった。
しかし、自分でも驚きながら、改めて青汁の感想をくちにした。
「こんなに、苦くて鼻にツンときて、苦くて、草を噛んでるみたいな味がして……、ミドリ色の味ってこんな感じなんですね」
「体にいいのよ! 美沙ちゃん」
「体が緑色の血になっちまうのわかるっしょ!? ねーちゃん」
「うん、わかります」
ふたりに答えて、美沙は両目をそっと滲ませた。



晴子たちの家をあとにすると、すぐだ。電柱の影から妹が飛び出して美沙に食ってかかった。
「結愛のゆみ君ちに侵略をしないで。結愛のものなんだから。結愛の旦那さんになるひとなんだから!!」
「結愛」
美沙は、今は妹と会話したくなかった。しかし、妹のことだから納得しないとわかっているし、妹は思い込みが激しくて悪魔のように気性が激しいところがあるから、ちゃんと答えてあげた。
「あたし、もう、気にしない。血の色なんてどうでもいい。あたしは、悪魔なんかじゃないし、人間でもないかもしれないけど血が青くたって緑にできることがあったとしたって、あたし、普通の人間がいいんだもの。あたし、普通がいちばんいいんだもん」

本で読んだような、酷いほど恐ろしくも『普通』な晴子とその息子、アレが――あの姿がいいんだわ、と美沙は胸中で復唱する。妹の結愛はわけがわからなさそうで「ハア!?」なんて、叫んでいる。

でも、美沙はもう泣かずに、代わりに笑った。
「ゆみ君と晴子さん、好きだなぁ。好きよ。結愛、あんたにはコチラの家は荷が重すぎるわ。あたしが晴子さんとゆみ君とこの家を守ってあげたい。だって、同じ、血の色をしているひとたちだから」

ハア!? 結愛がまた、叫んでいる。青汁の苦さがまだ美沙の口内に残っている。美沙はきっぱりして学びたての知見をくちにした。

「悪魔だろうと人間だろうと血が青かろうが緑だろうが黄色だろうが白だろうが黒だろうが、心の色は、好きなものを選べるものだったのよ」

生理よりおおきな、美沙の変化かもしれない。
心の、心のかたちの変容である。



END.

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