お姫さまの片思いで滅びた国
ラッテンドルーの国は、王族に付き従う、けだものがいる。けだものと呼ぶのは他国の者で、国の者にするとそれは星獣だ。しかし、高名な賢者にいわせると、あれは悪魔である、とのこと。かの国は悪魔と契約して栄えたとのこと。
ただ、もはや200年の歳月が過ぎようとしている。嘘から出たまこと、悪魔はもはや聖なる獣として土着して、賢者も後ろ指を指すことはなくなった。なんせ国が栄えて、長続きしているのだから。
あるとき、姫様が誕生した。姫様おつきの従者が選ばれて、最初こそは乳母のもとで兄弟のように育てられた。英才教育を受けた姫様は、けれどそこで間違いを選択してしまった。自分の心に素直になってしまった。自分の星獣に、心から、こうべを垂れながらある夜に嘆願した。
それは、姫が他国へ嫁ごうという、姫が十六の深夜だった。
鼻息をふしゅう、と蒸気機関のように噴き上げて、身の丈の三倍はある黒毛の姫の獣は託宣した。
「従者のオルヴァへの恋を、身分違いの恋を、どうしても、と?」
「はい。はい。はい、星獣さま……。オルヴァがなによりも大事なのです。オルヴァがすべてなのです。どうか、どうか、この恋をどうか、叶えてくださいませ。星獣さま、星獣さま……!」
ふしゅう、鼻息を漏らしながら、聖なる獣――とされる、黒毛の塊のけむくじゃらの四つん這いのけだものが、王族の聖堂の奧の聖なる領域にて、その毛を逆立たせる。獣とお姫さまを隔てるしめ縄に、切れ目をいれるよう、姫さまに勧告がくだった。
「身分違いの恋に、すべてを捧げる若き姫よ。儂を自由にするがいい」
「わかりましたわ」
乞われるがまま、ある夜の遅くにナイフをとって聖堂を訪れて、姫さまはしめ縄を切断した。
けだものが獣脚を踏み出し、前へ出る。
姫さまの横をすり抜ける。そして告げた。姫さまは、琥珀色の瞳をおどろきで満杯の水を注いだかのように丸くした。けだものは、簡単に言った。
「では、身分差をなくしてやろう」
「今に消える」
「この国にもいい加減、儂は厭きていたところだ」
なにを、おっしゃっているのですか、星獣さま。お姫さまが今更に問おうがお構いなしに星獣は聖堂を出て行き、街へと出て行き、そして業火の炎を吐き出した。国は一夜にして炎に包まれた。逃げ惑う人々のなか、姫さまは呆然として、おぐしを乱しながら絹のネグリジェ姿のまま、城下町が消し炭にされていくのをただただ、あぜんと見つめた。
「姫!! ここにおりましたか!! お逃げ下さい!!」
「オルヴァ」
愛しい従者が、やがて姫の傍らに駆けつける。国から逃げようと手をひかれながら姫さまはしかし涙して抵抗した。
「わた、くしは、とんでもない、願いを……」
炎と煤に混じった、焼けた低い声が頭に響いた。身分の差など、もうないぞ。国は滅びてお前はただのおんなになったのだから。
今にも気絶しそうになる姫さまを、滅亡しつつある国の亡国の姫を従者のオルヴァが支えた。身体を抱き上げて、さらうようにして馬車に積めた。オルヴァは一目散に逃げ出してラッテンドルーの国を後にした。
一夜にして国は滅びたが、従者に片恋をした姫さまの片思いは、こうして永遠の呪いとまじりながらも成就することとなった。
*
とある魔女の見習いは、灰と煤と、焼け焦げた、無数の亡骸と跡形などなくなるまで燃えさかった国をある日、訪れた。見習いの師匠は300年以上も生きる、大賢者である。見習いは、焼けた土を調べ、朽ちた遺体を調べて、遺骸のうちから黒い針のような一本の毛を採取した。
なるほどね、と魔女見習いは軽く言う。
毛に秘められた記憶を読んで、国を滅亡させた、おんなの恋を知った。だからどうすることなどもはやどうにもできないが。
「悪魔と契約などしたって、いつかは必ず滅ぶものですか。師匠、でもこの話は、悪魔が邪悪なのか、人間が愚かなのか、わたしには測りかねます」
魔女の見習いは、帰宅すると正直に報告した。師匠はうなずき、笑った。あの国が滅びて30年もして、姫さまと従者はどこぞで落ち延びて、貧しい暮らしに身をやつしていることだろうが、はたして幸せか、見てきておくれ、と次に頼みごとをした。見習いはうなずき、眉を寄せた。
「これで幸せになる女など、悪女ですよ。師匠」
「あるいは、そうした女の誕生こそが悪魔の成果なんだよ、弟子よ。さぁ、調べてきなさい。悪魔のおそろしさをその目で見てきなさい」
「はぁ。わかりましたー、では」
魔女の見習いは、ほうきに腰をおろして、再び、旅に出る。
山間にかかる霧はうつくしく翳り、青灰色の冠を山頂にかぶせていた。
END.