人魚のご近所の金魚さん

ぷくぅ、とバブルリングを海に産み落とすぐらい、人魚にだってお手のものだ。したからうえにまわりながら、ぷくぅ、とリングを描く。イルカが水族館でやるやつだ、と人魚は知らぬが、イルカは海でもよくこうして遊んでいるから、イルカたちの見よう見まねなど簡単だった。

地上では、地上の人魚のような人魚でない二足歩行の人魚っぽい生物たちによるお祭りが(人魚は知らぬが)人間の夏祭りが開催されていた。

わあわあ、にぎやかな歓声は海にも伝わる。提灯のあかいろが海面に反射してにじむ。花火ともなると、海面も震動する。人魚たちは、またあの変なやつらがまたこんな遊びをやる季節なのね、なんて思う。

そのとき、人魚は知らぬが、ある無知なる愚かな子どもが、夏祭りの熱にうかされてよたよた歩きで岩礁のうえをジャンプなどしていた。子どもたちだけでつるんで、うちひとりが、金魚すくいで手に入れた金魚のビニール袋をぶらさげていた。

「ねー、もっと奧行こう。洞窟あるんだって」
「ちょっと、まって。ボク両手が使えない」
「なにしてんだよ、置いてくぞ」
「まってよ!」

金魚のビニールを手にしたその子は、ちょっとかんがえて、ビニールの内側をすいすいと泳ぐデメキンを見つめる。目がとびでた、黒いデメキン。
人魚は知らぬし、子どもも知らぬが、世界は無知に満ちている。愚かさがそこかしこに転がっている。岩のうえで子どもがしゃがみ、ビニール袋をちゃぷん、と海に漬けた。

「今行く! 金魚ここで逃すわ」
「そう?」
子どもたちの集団は、誰も気にしなかった。
金魚は海では生きられない。子どもは知らなかった。そして人魚は、金魚を知らなかった。

そのとき、子どもたちの声につられて、一匹の人魚が海面すれすれにまで泳ぎ出ていて様子をうかがっていた。真っ黒い尾ひれに今にもこぼれそうな目玉のでっかい、みたことない、魚が突如、海に寝かされた。
人魚は地上のことは知らぬが、魚は知っているし、人間よりもはるかに研ぎすまされた野生の本能があった。

まずい。この魚、死にそう。
だって海で見たことがない魚だから。

子どもの手をはなれて、海へと沈んでいくデメキン金魚のビニール袋。

それが沈み、海に浸かりきるまえに、人魚は海中をくんるりんとまわってバブルリングをぷくぅーっとくちから噴いた。デメキンのビニール袋がバブルにつつまれて、海へと落ちる。海へと浸かる。それは人魚の掌におさまる。

「・・・・・・!!」

あら、なにこれなにこれ、なにこれ?
泡に守られたデメキンをのぞきながら、人魚が話しかける。金魚に人魚の言葉はつうじなかった。しかし、金魚は尾ひれをふって人魚に感謝した。魚との会話はこんなものなので人魚は笑顔でうなずいた。

人魚は上機嫌になってにこにこして、バブルリングの魔法でくるんだ金魚をつれて、深海へと帰っていった。こうして人魚の手におちた金魚は人魚たちのアイドルとして第二の魚生を歩むことになるのだが、陸上の誰もそんな話は知らない。
落ちてきた虫やらプランクトンやらをあたえられて、デメキンは天寿をまっとうして無事に生き抜いてから死んだそうだ。



END.

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海老かに湯
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