毒素なり泡なる吐息
息が臭い。魔女は、ある朝から、そう陰口を叩かれた。ひどい。酷い。非道い! 魔女は腹をたててますます魔女の家にこもった。
そうしてみて、ある朝、海中の魔女はゴポリと息を吐き、起き上がった泡が顔に当たってはじけた。悲鳴があがった。悲観に満ちた、絶望の悲鳴であった。
ゴポリ、ゴポリ、吐息の泡を出しては、それを嗅いでみる。
鼻孔を通い、喉までしびれさす、この刺激! 異物感! 刺さるようなイバラを思わせる透明なササクレであった。
臭い、くさい、くっさ、くざぁい、魔女は打ちひしがれて自分の口を抑えて家中を駆け回った。まったく理由がわからず、咄嗟にこれは魔法であると断定した。
知らず、知らないうちに、誰かに魔法をかけられてしまったんだ!
どうして?
ひどい!
魔女は、だがしかし、身に覚えはやまほどある。けれど口臭を変えてくるなんて、なんて、陰湿にして意味不明な嫌がらせだ。魔女は声をキーキー言わせて壁を蹴る。本棚がたおれて瓶が床を転がる。家を荒らしながら肩で息して、毒みたいな吐息の泡がそこらに満ちて、魔女は臭っさい匂いにぶるぶるする。なんて薄汚い復讐をするのか! なんて非道いことをするのか! どこのどいつだ、畜生め。八つ裂きにしてやる、おまえの顔を。
フーフー息をしながら、魔女はようやっと瓶を手に取り、魔法の解毒をこころみる。
しかし。来年、数年、数十年が経っても、魔法は解けることがなかった。魔女の名は臭い魔女と少し変えられた。
『あの臭い家の魔女。近寄っちゃダメだ』
『誰が近寄るのさ。あんなに臭いところ!』
『200年前は、あんなに臭くなかったのにねぇー。もうあれじゃ誰も行かないよ。注意する必要もないよ』
魔女は、ひきこもった家のなかで、壁にツメを立てて歯ぎしりする。魔女の家は臭く匂い、魔女自身もいつしか同じ臭さに染まった。もうどこも、吐息とおなじく、臭い。この魔女は臭い魔女になったのだ。
誰もが近寄らなくなった魔女の家で、発狂した魔女が壁やら窓を引っ掻いて暮らしている。魔女は破滅した。
吐息に含まれる、泡に、気がつくことはなかった。
泡になって溶けた人魚姫のアワアワが、魔女に向かっていき、その体内に根づいて復讐を果たし、遂げつづけていた。
人魚姫の死は、潔癖なる美談として今も語られているが、人魚姫自身たる彼女もその潔癖さを保ちつづけたかは、すでに消えた彼女のみが、知る。
復讐心に侵されて気を狂わせたか否か。
彼女のみが知る。
ただ、魔女の吐息には、泡のかけらがいつも常に、含まれていた。
200年が過ぎようとも、なお。
END.
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