春には夏ガまチ冬

春になったらよくなるよ。母はそう言って私に毛布をかさねてかける。やさしい暖炉の火のようなワンシーンだけれど、去年も、その前も、もっとずっと前も、同じ言葉に覚えがある。
母はいつもそう言うのだ。

冬の寒さにきずが痛む、じくじくした蝕みにあえぐ私に、春になればよくなるわ、必ずそう言い、母は私をあやす。

正直、私は億劫だ。
春の次に来る、夏の暑さも私のきずには悪いから。
春はとちゅうで息継ぎができる程度の季節にすぎなかった。中継点のひとつ、うららかな日差しは、ともすると私の病を呪いたくなるほど恨めしいから、好きかと言われれば私はくちごもる。

春。
春がきたら、夏が来る。
夏はいや。

冬もいや。
秋は、このごろは、よくわからなくなってきた……。存在がかげろう。残念な事だ。

春にはよくなるよ。母は、ドアを閉めながらそう告げて、病室の電気を消した。くらやみのうちから、私は、どうして母がそんなに春が好きなのかを謎に思う。

四字熟語みたいなものと思えば、きっと楽だろう。期待も悩みもなくただ頷き、オヤスミのバリエーションのひとつとして聞き届ける。そして眠りに堕ちる。

平和だ。子ども時代を思い出す。

問題は、私自身にある。
私がそれを聞いて既に二十歳を超えて三十路もすぎ、すべてにおいて手遅れになった生きもの、その点にすべて集約されている。

春を待ち、夏にくたびれ、秋にやすみ、冬に眠りつづける。
植物であるなら辛くないのか。

植物であるなら、この生活でもなんらかの実りをつけるのか。

私は、次の春をまち、また夏を嫌がる。今年で33回目になるはずだ。記憶にあるのは20回ほど、かすみがかった記憶に埋もれてゴミ山に紛れて覚えているのもきっと私ひとり。

おそらく、母だって、春になったらよくなるなんて言葉は信じてないしわかっていない。
ただの、おやすみなさい。おやすみなさい。私がそんなことを肌で理解る大人になったことが、悲しい。

春をまち、夏をまち、冬はずっと、憎たらしい。そんなまま子どもでも大人になってしまう、時間がいちばん恐ろしい。


END.

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海老かに湯
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