人魚を知らないひとは(たんぺん怪談)
遭遇した。魚の上半身をもち、人間の二本足を持ち、それでいて生きている謎の生物。船乗りは釣具を海に落としそうなるが、すんでのところで、ホルダーにこれを装着した。謎の生き物はこちらに気づき、海坊主が立ちんぼするかのように波に揺れずに棒立ちしてそこにいる。
船乗りは声をかける。返事がない。釣り終えた魚を思い出し、いちばんの大物を尾をつかんで掲げ上げた。これ食いねぇ、あんた!
その生命体はまぶたのない両目をまるまるさせて、しかし魚につられて、波のなかを歩いてやってきた。船乗りは、しめた、と思った。
船乗りは伝説を知っている。地元につたわる人魚伝説。不老不死の霊薬と謳われて昔は大名や将軍などがこの地方に盛んに手の者を派遣していたという伝承。人魚とは、体半分が人間で、体半分が魚だという。人魚だ! 船乗りは、腰に差してあるサバイバルナイフにひそかに手をやった。謎の命が船のへりに魚の上半身を寄せたその一瞬、晴れた空の下に、赤い血液がバッチャンと散らかった。
生きていたものは、死んだ。
謎の魚の頭にサバイバルナイフを突き立てて船乗りは興奮して叫んだ。うおお、うおお、獣の遠吠えとなって波間へと吸い込まれていった。死んだものの身体が船にズルズルと引きずられて持ち込まれた。喜び勇み、船乗りは舵をきって、海辺の自宅あばら家へと急いだ。食ってみよ、捌いてみよ、冷凍保存はできるのか!? なんぞ胸をはやし立てながら。
ところで、誰も人魚を知らない。魚の巨大な上半身をもち、人間の下半身と二本足をぶらさげている、これなる奇っ怪な化け物がほんとうは「なに」であるか?
それは、誰も知らない。
END.
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