するなら嫌って、このラブストーリーを屠殺して(改題)1-1
「差別ですか、偏見ですか?」
真黒な瞳の女の子は、ふりむくなり、ツンとうろんに質問を返してよこす。
まさか。遊びでなんか来てないよ。屠殺場(とさつば)、もとい食肉処理場(しょくにくしょりば)に。
そうは思うけれど、この子が頭の回転が早くて勘が良くてなにやら気を遣うタチであることが、一瞬でわかった。
(覚えてるんだ。昨日のこと)
どうりで。ボクを無視して知らんぷりして、初対面のフリをしてごまかして、速やかな退勤を済ませようとしたわけだ。
女の子はボクを無遠慮に眺める。そっちの視線の方がよっぽど差別的では?
けど、偏見の眼差しはしていなかった。
殆どの人間が言う、外見の話、ボクの顔しか見てこない、美醜、など。
単にいちべつして目の高さから身長差を測ったぐらいの醒めた目線で、もしかするとボクの顔面を素通りしたかもしれなかった。
(?)
あれ。おかしい。いや最初からおかしいけど。
顔面国宝とか、風俗店でモテはやされるんだけどね。
ちょっとイジメてみる気にはなる。
「うん。こんなところで若い子が、しかもキミみたいな女の子がさ、なんで屠殺場なんかで働いてるのかなって? なんでかな」
「……それ、差別用語です。屠殺場。放送禁止なやつですよ」
「ああ、ゴメンねつい。ほら、やっぱ屠殺するからさ? そういう印象は強くってさ。キミ、ボクとぜんぜん目ぇ合わなかったけど、初対面じゃないよね。あのとき、血まみれでさ、殺人鬼かなぁと思ったよ! でも屠殺場から、あれなに? 直帰? 血まみれで?」
「……だから、差別用語ですって……。……なんですか、職務規定違反で通報するとでも? 警察を呼ぶとでも? 私をクビにさせるとでも?」
「まさか! ただ、ね。……消毒液の臭いもしたからさ。人殺しじゃーないっていうなら、ここ、と畜場かな? って。近くにあったなと。アタリだったねぇ」
ジロジロと、本当に遠慮なく見てきて、でもボクの顔はどうでもいいらしかった。
ボクの瞳のなかの色を奥まで見つめてきている。
「……………………」
ボクも、失礼な眼差しなので遠慮なくやり返してみることとする。
黒々している、真っ暗な瞳。
夜が目覚めるような瞳だった。
昨日の印象とは、ちがうな。
昨日は、……なんだか、もっと光っていた。白く。真っ暗いのに白く。
「…………」
「…………」
数分はあったかも知れない。少女の瞳にひと光が映った。ふと、我に返った、みたいな瞬間に白い光が黒い鏡面に反射してナナメに伸び上がった。ああ。この目、これは昨日の瞳だ。やっぱりこの子で間違いない。
「すみません。いきなり失礼なことを」
真っすぐに見上げてきながら、彼女はまだ、ボクの目のなかを物珍しそうにまじまじ眺める。
それで何がわかったのやら。急にしおらしくなってきた。
でも、生意気な子、あるいは怖いもの知らずな子だった。動揺がない。
「ですけれど、ほかの職員さんには、屠殺場とは言わない方がいいですよ。怒るお方、イヤな気分になる、お方、いらっしゃると思うので。そちらは差別用語です。ここで働いていると悪く言われることが多くて皆さん気にされてるんです」
「ああ、うん。わかった。ありがとう。気をつけるよ。……キミはイヤじゃないの」
「私。私ですか」
ふしぎそうに瞬きをすると、瞳のなかの白い光がさざめく。少し困ったのか、ようやっとボクを凝視するのを止めてうつむいた。
「私は、見てのとおりです。食肉処理に若い女が独りでもくもく働きつづけてる、差別されるには充分です。この工場でももうそうですから。馴れてます。それで、あなたは、どちらさまですか? 昨日、お会いしたお方……、ですよね」
「そう! 覚えてたんだ。よかった」
「……どこのどなたですか……?」
「ん。んー。そうだな。そうだなぁ。んーひとまず、じゃあ。……そうだな……」
食肉処理場は清掃がしょっちゅうあると聞く。外は、きれいに、整然としてあって、ここの工場のなかの異臭はちょっと漏れている程度だ。血と臓物の生臭さ。
名を名乗る、通名だけど。タチバナシカマ。いつもはそうなんだけど。
なんとなく、仮名にしておくことにした。
「しーさん、て呼んでもらえる? 謎の美青年、イケメンのお兄さんだよ」
「呼ぶ。どうしてまた会うんですか」
「んー。んん、ま、ボクもちょっとこの屠殺場に野暮用ができててさ。これから何回か会うことになるよ。キミ、名前は? いちばん最初に会ったんだから仲良くして欲しいな♡」
「…………」
あ。また、ものすごく失礼に、ジロジロと眺めてきている。ボクが美形でイケメンでそういう視線は馴れてるからどうでもいいけど、そこ、値踏みされてるってバレバレだし、怒るかキレるか、ガンつけられた、あるいは惚れてるなんて、勘違いをさせそう。
危なかっしい女の子だ。
風が通るだけの間はあった。
(あ、髪が……)
セミロングの黒髪が揺れている。ボクの目の前で。
昨日見た、ポニーテールじゃない。
さっそうとひるがえった、馬のしっぽみたいな、ミミがついてるみたいに毛先がハネた、あのポニーテールじゃない、今のこの子は。
アタヤサヤ。
当矢沙耶。うん、社員名簿でもう見てはいる。さや。
沙耶という彼女は、一言、自らの名前をぶっきらぼうにボクに教えた。
結ばれていない黒髪が、食肉処理場のなかでは丸く詰めてた黒髪が、あのときはポニーテールだった黒髪が、死にかけた血管のように黒くばらばらと散らばって、屠殺場から臭う独特な死と血と血を煮た、それに、油臭さと消臭剤の、すべてがまじった、腐臭と混じり込んでいき、なびいた。黒髪が沙耶の肩に降りていくのをただ見ていた。
「そう。沙耶ちゃん。よろしく」
「よろしくお願いします……? しー、さ、ん……?」
「うん、しーさんね」
笑いかけると、沙耶は、胡散臭そうな思慮を隠さず、眉間をしわ寄せた。
ボクは、テキトウを言ったけれど、やっぱりしばらく通ってみることに決めた。
気晴らしくらいには、なりそうだから。
沙耶ね。さて。
どんなオチがつくのやら。
ボクなんかに目をつけられたら、人生が終わるのにね。かわいそ。
END.
読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。